孫文の歴史的演説から100周年…トランプ新時代に高まる「大アジア主義」の再評価
「アジアの世紀」の終わり
しかし1820年においても、アジアが60%を占めたのに、ヨーロッパは23%、アメリカは2%でした。孫文が演説で言ったアジアで先進的な文明が栄えた「アジアの世紀」が19世紀初めまで連綿と続いたのでした。 1800年から1924年までをクローズ・アップしたのが次のグラフです。台頭してきたヨーロッパ諸国そしてアメリカが次々とアジアを侵略し、アジアは急速に退化し弱体化していきました。アジアのGDPが世界全体に占める割合は1820年に60%だったのが1900年に28%へ低下した一方で、ヨーロッパは23%から34%へ上昇してアジアを抜き、「ヨーロッパの世紀」が到来しました。福澤諭吉が「脱亜論」を1885年に唱えたのは、こうしたアジアの没落とヨーロッパ・アメリカの台頭を背景としていました。 しかし、第一次世界大戦(1914~1918年)の戦場となったことでヨーロッパは退化・弱体化を始めたのに対し、戦場とならなかったアジアは退化・弱体化が止まり始めました。同じく戦場とならなかったアメリカは台頭を加速し、GDPが世界に占める割合は1820年の2%から1924年の20%へ劇的に上昇しアジアに迫っていました。1924年に神戸で「大アジア主義」を演説した孫文が直面していたのは、こうした世界情勢でした。孫文は演説でこう述べました。
孫文が神戸で演説したこと
《現在の情勢は、中国と日本だけでなく、東アジアのすべての人々が団結して、アジアの以前の地位を回復することを示しているように思われる》 しかし、その後、日中戦争そして第二次世界大戦によってアジア各地は戦場と化し、アジアは一段と退化し弱体化しました。1900年から1950年までのアジア、ヨーロッパ、アメリカ合衆国のGDPの世界全体に占める割合の推移を下のグラフに描きます。 第二次世界大戦終結から5年後の1950年、アジアのGDPが世界全体に占める割合は1940年の25%から19%へ低下しました。一方、アメリカは21%から27%へ上昇して26%のヨーロッパを抜いて突出した超経済大国となり、「アメリカの世紀」が出現しました。現在にいたるアメリカ中心の世界秩序はこの時期に形成されました。 しかし、アメリカが一国でヨーロッパもアジアも凌駕する経済規模を誇る超大国である状態は持続しませんでした。戦後復興していたヨーロッパに逆転され、同じく戦後復興と経済開発とが進んでいたアジアに追い上げられました。1900年から1975年までのアジア、ヨーロッパ、アメリカのGDPが世界全体に占める割合の推移を描くと次のグラフのようになります。 1950年から1975年までに、アメリカのGDPが世界全体に占める割合は27%から21%へ低下し、1954年にヨーロッパに逆転され、1970年にアジアに逆転されました。この過程でアメリカは、朝鮮戦争(1950~53年)で引き分けし、ヴェトナム戦争(1965~1975年)で敗戦し、1971年にドルと金との固定レートでの交換を一方的に停止して第二次世界大戦後の世界的な固定為替レート制(ブレトンウッズ体制)を崩壊させました。