ヤマザキマリ 17歳から留学したことで<きつい>イタリア語が母国語に近い存在に。<優しい>はずの日本語で人から騙される私へ友人が助言した内容とは
◆日本人と日本語をもっと理解しなさい そもそもイタリア語は、標準レベルでも日本語よりきつい表現が多い。 当時同棲していた彼氏は、イタリア全土でも柄の悪さでは屈指と言われるフィレンツェことばのスピーカーで、下町で商売を始めるに至って、さらに輪をかけてオゲレツな下町バージョンを身につけてしまったので、私のイタリア語は、怒った場合に限り、夫が絶句するほどひどい。 先日、イタリアのドラマを見ていたら、登場人物たちが口にする強烈な言葉が日本語の字幕では柔らかい表現になっているのに気がついた。清楚な女性が怒りに任せて相手を罵る言葉が上品な表現に置き換えられているのは、言語コンプライアンス以前に、そのようにアレンジしなければ日本の人に届く表現にならないからなのだろう。 悪しき感情が芽生えると、その場で外へ放出してしまうイタリア語の世界で生きてきた私にとって、日本語は悪口に至るまでが優しく感じられる。にもかかわらず人に騙されたり辛辣な目にあったりしたのは、その言語表現の先入観のせいではないか。 そんな話を友人にしてみたところ、「言語は関係なし。あんたがお人好しすぎるだけ。日本人と日本語をもっと理解しなさい」と断言された。 (撮影=ヤマザキマリ)
ヤマザキマリ
【関連記事】
- ヤマザキマリ「なぜ外国人旅行客はTシャツ短パン姿なのか」と問われ、あるイタリア人教師を思い出す。観光客ばかりナンパする彼が言っていた「愚痴」とは
- ヤマザキマリ 心身のメンテナンスとして湯に浸かっていたのは、どうやら古代ローマ人と日本人だけ。16年を経て再び描く『続テルマエ・ロマエ』に込めた願いとは
- ヤマザキマリ 災害や事故を前にしても沈着冷静な様子が世界から賞賛される日本人。「危機的状況下こそ他人の指示なんて信じられない」と話すイタリア人夫の話を聞いて考えたこと
- ヤマザキマリ 母の葬儀を進める中イタリア人の夫が発した意外な一言とは。母がその場にいたら、息子と夫のしどろもどろな様子を前に呆れながら笑っていたにちがいない
- ヤマザキマリ コロナ禍で離婚が増えたと聞き。いい夫婦を装うことを私は選ばない。むしろ「夫」「妻」がすべて、と断言する人に何か穏やかではないものを感じる