分娩まひで右腕が不自由なママ。6人の子どもたちと夫と過ごす中で見つけた人を笑顔にする仕事【体験談】
宮城県仙台市で似顔絵作家として活動をするSUZUさん(30歳)。かわいい似顔絵が人気です。6人の子の母親でもあるSUZUさんは、生まれたときの事故で右腕・右手がまひして思うように動かせません。 似顔絵は思うように動かない、その右手で描いていると言います。似顔絵を描くようになったきっかけなどについて聞きました。 全3回のインタビューの3回目です。 【画像】6人の子どもたちと夫さんとSUZUさん。
母がリハビリのつもりで、動かない右手でペンを持つように特訓してくれた
――SUZUさんはまひしている右手で似顔絵を描いていると聞きました。いつごろから、どのようにして絵を描くようになったのでしょうか。 SUZUさん(以下敬称略) 子どものころから、母に「文字や絵だけは右手を使って書きなさい」と言われていました。母からするとリハビリのつもりだったようです。私の右手は内側部分の神経はわずかにつながっているそうです。だから腕も外側には動かせないのですが、内側に、かこいこむようには動かせるんです。それで字や絵を描いています。 ――似顔絵を描き始めたのはいつごろでしょうか? SUZU 2015年に、初めて描いた長女の似顔絵をLINEのタイムラインに載せてみたんです。 すると、その絵を見た友人が「私にも描いてほしい」と言ってくれました。「じゃあ1枚500円で描くよ」と始めたのが最初です。そのときはまさか仕事になるとは思わず、趣味の延長のつもりでした。ときどき友人に頼まれては似顔絵を描いていました。
5人の子育てをしながらのフルタイムのパートはハードすぎて、似顔絵に専念することに
――どんな経緯で仕事として取り組むようになったのですか? SUZU 以前からフルタイムのパートでガソリンスタンドの事務の仕事をしていたんです。でも、子どもが4人、5人と増えていくうちに、フルタイムで仕事をするのが大変になってきました。 いつも子どものだれかが体調を崩して「お迎えに来てください」と連絡があったり、朝、忙しいときにうんちをもらしたとかで後始末に追われ、遅刻をしたりで…。職場の人にいつも迷惑をかけてしまっているように思って、肩身が狭かったです。 あるとき夕方の公園で夫に「やっぱり子どもがたくさんいてフルタイムで働くのは難しい。何か私にできる仕事はないかな、どうしよう」と相談したところ「SUZUは似顔絵が描けるから、それを仕事にしたら?」と言われました。でも、まだクオリティにも自信がなかったし、仕事にするのは難しいんじゃないかなと思いました。一応SNSで発信をしてみたところ、ある企業から声をかけてもらえました。 ――それはすごいです。その企業と提携されたのが仕事につながったのでしょうか? SUZU そうです。声をかけてくれたのは「シェリーブラン」という似顔絵ケーキを作っている神奈川県のケーキ屋さんでした。そこの専属イラストレーターになることになりました。似顔絵ケーキというのは、ケーキの上に似顔絵を転写したプレートを載せたものです。私は送られてきた写真を見ながら似顔絵を描く仕事をすることになり、 ずっと続けていた事務の仕事をしながら、似顔絵の仕事を副業として取り組む生活を3年ほど続けました。 ただ、やっぱり仕事を2件かけ持ちして、子どもたちの面倒を見るのはすごく大変だったんです。2021年ごろ、夫と話しているときに「やっぱり事務の仕事と似顔絵の仕事、両方やりながら子育ては大変かもしれない」と言ったんです。ちょうどそのころはコロナ禍だったから、転職するにも難しいかもしれないというタイミングで…。 すると夫が「似顔絵に専念してみたら? まだ子どもも小さいし、似顔絵だったら在宅でも仕事ができるよ。挑戦してみてもいいんじゃない?」と言い出したんです。 ――夫さんの言葉を聞いて、SUZUさん自身はどう思いましたか? SUZU 私は専門的に絵の勉強をしたわけではなく、独学だったこともあり「無理だよそんなの」と消極的でした。本当に自信がなかったのですが、夫はなぜかすごい乗り気で「いや、SUZUならできる!」という感じでした。その勢いに背中を押され、2021年に事務の仕事を辞め、似顔絵に専念することになりました。