制作者は楽しくない「わりきりニュース」 ── 水島宏明氏に聞く(3)
衆院選に先立ち、自民党がNHKや在京民放テレビ局に対し選挙報道の「公平中立、公正」を求める要望書を出しました。昨年の参議院選挙直前に自民党が行った「TBSへの出演・取材拒否」や、テレビ朝日の「椿問題」(1993年)など、政治とテレビはいつも微妙な力関係にあります。なぜ、テレビの選挙報道は中立性や公正さが求められるのでしょうか? 現状のテレビ報道のあり方、課題は何なのでしょうか? 元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクターで法政大学社会学部教授(テレビ報道)の水島宏明氏に聞きました。 --------------- 有権者にとって単調な報道──。では、テレビ番組やニュースを制作する側からすれば楽しいものでしょうか? もちろん制作者の側から見てもけっして楽しいものではありません。 初回の記事でも書いたように、テレビ番組は「サービス精神」です。「有権者が選びやすいようにいろいろな角度から争点を示そう」とか「1つの問題について日本政府の政策を外国と比べてみるとどうなるか」とか、選挙報道を面白く見せる方法について制作者たちはアイデアを持っています。 でも残念なことにそうした報道を視聴者が見てくれるかといえば、あまり多くの視聴者が見てくれるものにはなりません。政治は以前の小泉純一郎元首相の頃にはテレビで報道すると視聴率を取れましたが、現在は政治への関心そのものがとても低い時代になっています。 「どうせ放送法の縛りがあるから」「どうせ公職選挙法の縛りがあるから」とテレビ制作者たちは自分に言い訳しながら「無理をしない」という姿勢になります。伝えるうえでのモチベーションが低くなってしまいます。 人間はさぼる口実、それも法律で決まっているような形で仕方ないとされる口実があればいくらでもさぼってしまいます。水が低きにながれるように「わりきった」仕事をするようになるのです。 そうするとどうなるでしょうか。選挙に関する報道は、視聴者も見てくれないからと、あまり放送されなくなり、やった場合もどんどん短くなります。選挙戦の開始の頃や終わり頃に申し訳程度に短く、頻度も少ない形で伝えることで報道機関としての役割を果たした、として言い訳にするのです。 テレビの選挙報道はもともと視聴者の関心が薄い。これにプラスして、法律の縛りで面白くできない。ますますつまらなくなる。こうしてどんどん面白くなくなる「負のサイクル」が進んでしまうのです。 でも、よくよく考えてみればおかしいですよね?