シャルル・ルクレールに母国モナコGP初優勝をもたらした超スローペース戦略の妙「チームは『もっと落としてくれ』と…」
「DAGHE CHARLES」(ダギー、シャルル) グランプリ開催期間中、モナコの街中にはこんなフラッグがあちこちに掲げられていた。モナコの公用語はフランス語だが、モナコ公家のグリマルディ家がジェノア人であることから、ジェノアの言葉がモナコでも方言として地元の人々の間で使用されている。「DAGHE」とは「行け」という意味で使用されるモナコの方言。そして母国人ドライバーのシャルル・ルクレールを応援する合言葉でもある。 【レジェンド写真】マクラーレン時代のホンダとセナ、プロストがカッコよすぎ。初々しいシューマッハー、ヤンチャそうなマンセル…懐かしきF1ヒーローの雄姿を見る(20枚超) そのフラッグはお店やレストラン、そしてモナコ市街地サーキットのコースに面したアパートのテラスだけでなく、1863年に開業したモナコ最古のカジノである「カジノ・ド・モンテカルロ」の壁面にさえも掲げられていた。その理由は、モナコGPがF1で最も歴史あるグランプリのひとつであるにもかかわらず、母国人ドライバーが優勝したことがなかったからだ。 F1が誕生した1950年、グランプリは年間で7回開催された。イギリスGP、モナコGP、インディ500、スイスGP、ベルギーGP、フランスGP、イタリアGPだ。 その後、イギリスGPは55年にスターリング・モスが母国人として初優勝。インディ500はF1のシリーズに組み込まれた1950年にアメリカ人のジョニー・パーソンズが優勝。フランスGPは79年にジャン=ピエール・ジャブイーユがフランス人として初めて母国に錦を飾った。イタリアGPはF1初年度の50年にジュゼッペ・ファリーナが地元で優勝。50年にF1が開催され、今年カレンダーに組み込まれている伝統のグランプリの中で、母国人ドライバーが優勝したことがないのはベルギーGPとモナコGPの2つだった。
ルクレールが逃した2度のチャンス
現在、F1に参戦しているドライバーにベルギー人はいないため、今季、母国人ドライバー初優勝の可能性があったのはモナコGPだけだった。 モナコGPで母国人ドライバーが優勝する機会は過去に2回あり、ともにドライバーはルクレールだった。最初のチャンスは21年。ルクレールはポールポジションを獲得したものの、予選中のクラッシュによりギアボックスにダメージを負い、決勝レース前のレコノサンスラップ中に問題が発生。緊急ピットインしたルクレールはグリッドに着くことなくレースを終えた。 その翌年もポールポジションを獲得したルクレールだったが、スタート直前に降り出した雨が流れを変えた。スタート後、徐々に路面が乾き始めたタイミングでのピットストップ作戦で、フェラーリはレッドブルに逆転を許し、ルクレールはまさかの4位でチェッカーフラッグを受けることとなった。 今年の予選でもポールポジションを獲得したルクレールにモナコの人々が今年こそはと期待するのは当然のことで、ルクレールにしてもその思いは同じだった。 「2年ぶりに勝つチャンスが訪れた。しかもそのチャンスが母国のモナコ。このチャンスを絶対に逃してはならない」
【関連記事】
- 【レジェンド写真】マクラーレン時代のホンダとセナ、プロストがカッコよすぎ。初々しいシューマッハー、ヤンチャそうなマンセル…懐かしきF1ヒーローの雄姿を見る(20枚超)
- 【フェラーリやらかし史】ラウダ、プロスト、アロンソ、ベッテル…数多の名ドライバーが食らわされた、フェラーリの“やらかし”と内紛の黒歴史
- 【伝説写真】ラウダ、プロスト、シューマッハ、アロンソ、ベッテル……F1史を彩った伝説のチャンピオンたちのフェラーリ時代の勇姿
- 【最新写真】2024年版!角田裕毅の「愛され日常PHOTO」…ピンクのセットアップかわいすぎ! 確執解消?リカルドと笑顔のツーショット、ネイマールとも仲良し…今シーズンの角田くんの素顔を写真で見る
- 【衝撃画像】「周冠宇のマシンが吹っ飛んで裏返しでコースを滑走してる…」「炎の中にドライバーがいるじゃんか…」ドライバーが九死に一生を得た瞬間など大クラッシュ史を見る