助っ人でも愛称は「マルちゃん」。西武と巨人で巨体から豪快なアーチを放ったマルティネス【愛すべき助っ人たち】
清原の穴を埋める助っ人
1980年代に始まった西武の黄金時代。だが、90年からはリーグ5連覇も、92年に助っ人のオレステス・デストラーデが帰国、94年には秋山幸二がダイエー(現在のソフトバンク)へ去り、95年にはV逸、黄金時代を象徴する“AKD砲”で残るのは清原和博だけになっていた。その清原もFAで97年に巨人へ移籍。西武は機動力野球に活路を見出しつつも、清原の穴を埋める長距離砲として獲得したのがドミンゴ・マルティネス。100キロを超える巨体から豪快なアーチを連発、「マルちゃん」の愛称で親しまれた助っ人だ。 【選手データ】ドミンゴ・マルティネス プロフィール・通算成績 ただ、その巨体が災いしてか、開幕を前にキャンプでアキレス腱を痛めてしまう。オープン戦も不振。清原の穴を埋めるどころか、1試合も公式戦に出場しないまま解雇、という可能性もあったという。それでも、真面目で研究熱心な性格もあり、ペナントレースが開幕すると、着実に真価を発揮し始める。パ・リーグには指名打者制もあり、守備の不安から解放されたことも大きかっただろう。5月には月間MVP。西武も機動力野球とマルティネスの強打が噛み合う形となって、マルティネスは最終的に31本塁打、108打点、打率.305で3年ぶりリーグ優勝に貢献した。
清原の穴を埋めて余りある活躍と言っていい。西武は翌98年もリーグ連覇。マルティネスも打率3割には届かなかったものの30本塁打、95打点という数字を残した。だが、日本シリーズではヤクルト、横浜(現在のDeNA)に2年連続で苦杯。マルティネスには守備の不安もあって、満足なプレーができなかったことも問題視される。マルティネスはオフに解雇、メキシカン・リーグに転じたが、その翌99年6月には復帰。ただ、復帰したのは西武ではなく、清原のいる巨人だった。 清原の不振で四番打者を任されたマルティネスは83試合で16本塁打、56打点と期待に応える活躍。それでも、清原が復調すると、じわじわと活躍の場を失っていった。2001年オフに退団。見方を変えれば、助っ人の宿命を体現し続けたといえるかもしれない。それだけに、5年にも満たないキャリアにかかわらず、ファンにインパクトを残しているのだが。 写真=BBM
週刊ベースボール