「第二のわが家」に別れ 珠洲・大谷小中の避難所解消 「あっという間の1年」
●ボランティアら荷物搬出 能登半島地震と奥能登豪雨で甚大な被害を受けた珠洲市大谷地区で、最大の指定避難所だった大谷小中体育館の避難所が25日、解消した。これにより、市内の避難所は市生涯学習センターのみとなった。この日は住民やボランティア、市職員、教職員ら約40人が、避難所にあった布団や段ボールベッド、空気清浄機などを公民館などに運び出し、命をつないだ「第二のわが家」と別れを告げた。 大谷地区の中心である大谷町は、震災による土砂崩れで10日間孤立した。停電や断水が発生し、体育館には最大で400人以上が身を寄せた。地区外からの支援が届かず、住民らは食べ物と飲み水を分け合って耐えた。水道復旧や仮設住宅完成が間近に迫った9月には豪雨に襲われ、避難生活が延びていた。 最後まで避難所で暮らした7人のうち、4人は隣接地に建った仮設住宅へ入居し、3人は水道が回復した自宅に戻った。元日から23日まで避難所で過ごした地名坊暢子さん(85)は「地震でどうにもならない時に、暖かい避難所が迎えてくれた。いい所だった」と話した。 「いろいろなことがありすぎて、あっという間の1年だった」。避難所の運営責任者を務めた市議の川端孝さん(61)は荷物を運びながら「第二のわが家だったわ」と激動の1年を思い返した。