鹿島アントラーズ歴代最高助っ人は? 出場試合数ランキング5位。やはり別格! W杯を制したSB
32年目のシーズンを終えたJリーグでは、これまでにさまざまな選手がピッチに立ってきた。長い歴史で多くの助っ人が来日し、クラブの成功・発展に力を尽くして、さらにはレジェンドとなって愛された選手も多くいる。今回は、鹿島アントラーズ在籍時に最も多くJリーグに出場した外国人選手を紹介する。※成績はJリーグ通算
5位:ジョルジーニョ (ブラジル) 生年月日:1964年8月17日 Jリーグ通算出場数:103試合 在籍時期:1995-98 ジョルジーニョは、ブラジルの名門フラメンゴで活躍したあとヨーロッパへ渡り、ドイツのレバークーゼンとバイエルン・ミュンヘンでも中心選手として力を発揮した。1987年にデビューしたブラジル代表でも不動の地位を築き、1994年にはFIFAワールドカップ(W杯)優勝を経験している。そんな世界のトップを経験した選手が、1995年に鹿島アントラーズに加入した。 30歳を過ぎて日本にやってきたジョルジーニョは、Jリーグで加入直後から他を圧倒する世界レベルのパフォーマンスを見せた。右サイドバックとして起用されれば、サイドを駆け上がって正確なクロスを送り、ボランチで起用されれば、フィジカルを活かしたボールキープと正確なパスでチャンスの起点となっている。現代のサッカー界における偽サイドバックの役割を、1990年代に自然にこなしていたような選手で、鹿島がJリーグ初優勝を成し遂げた1996シーズンは、年間最優秀選手賞を受賞している。 1997シーズンの鹿島は、Jリーグ・ファーストステージで優勝したほか、ヤマザキナビスコカップ(現・YBCルヴァンカップ)でも優勝した。この大会でジョルジーニョは7得点を決め、大会MVPを受賞した。 1999年にブラジルに帰国したジョルジーニョは、2002年に現役を引退したあと、2012年に監督として鹿島に復帰。監督としては鹿島をナビスコカップ優勝に導き、1年で退任した。
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