円安で外資が不動産投資を加速しても、日本人は幸せになれない
田内氏:そこまでして海外から投資を呼び込みたいわけですね。 唐鎌氏:為替の基礎的需給を分析の要とする私の立場から言えば、やはり、需給環境の改善には構造的な問題へアプローチする必要があるように思います。以前のように日本から海外への輸出を増やそうとしても、今の国内製造業の状態では難しい。日本企業が国内へ回帰してくる機運がない以上、外資を国内へ誘致するしかないよねという話です。 田内氏:誘致した外資には海外に顧客がいるから、日本にとっては“輸出”が増えていくというカラクリですね。それは長期的な視野に立っての改善策というより、目先の改善策じゃないですか。理想的には、国内資本の会社が、海外に売り込める製品をつくっていかないといけないのかな、と。 唐鎌氏:目先の改善策といっても、10年単位の時間がかかると思います。実際、日本が11年ごろから10年以上かけて対外直接投資、要するに海外への生産移管や海外企業の買収にいそしんだことで、日本国内の生産拠点は脆弱になりました。結果、大幅な円安になっても貿易収支の赤字が減らないような今の構造が仕上がりました。この状況を打破するという意味で、また国内に製造業の工場をつくろうという方向性は分からなくもありません。 日本企業の工場であれば望ましいですが、それが難しいのであれば、TSMCのような外資系もターゲットになると思います。ただ、外資系企業である以上、稼いだ利益は本国へ送金されてしまうため、日本国内で「国内総生産(GDP)」は増えても「国民総所得(GNI)」はそれほど増えないというリスクはあります。これが対内直接投資戦略の弱みです。 ●不動産の対内直接投資が増えても幸せになれない 田内氏:ちょっと唐鎌さんの意見をお聞きしたいことがあります。経常収支の中には、所得収支や貿易収支がありますよね。所得収支は投資によって得られるお金ですから、それを手にした人が海外に移れば一緒に流出する。一方、貿易収支は国の中の生産力にひもづいているから、簡単には海外に移すことができない。だから、所得収支よりは貿易収支のほうが重要であると漠然と思っていたんですが、そうした理解でよろしいですか? 唐鎌氏:間違いありません。私もそう思います。ですから、対内直接投資を促進すべきだという議論にも続きがあって、どのような業種が好ましいかが問題なわけです。TSMCは製造業ですから分かりやすいし、雇用を創出するだろうと期待されています。実際には、半導体製造工場にそれほど人は要らないと思いますが……。一方、シンガポールの政府系投資ファンドが日本国内の不動産投資を積極化するという話も、対内直接投資にカウントされています。 田内氏:報道されていましたね。外資による不動産の投資はどうなんでしょう。 唐鎌氏:日本にとってメリットがあるかと言えば微妙ではないでしょうか。日本国内の不動産価格は上がるかもしれませんが、それが日本にとって幸せなのかどうか……。 田内氏:そうですよね。その影響で日本人は都心のマンションがほとんど買えなくなっているんじゃないかと思うわけです。最近聞いた話だと、知人が都心のマンションを売却したんですが、広さ70平方メートルで、数年前に1億円で購入したものが2億円程度で売れたそうです。10組が内見したんですが、そのうち外国人の比率はどれくらいだったと思います? 唐鎌氏:10組すべてが外国の方だったとか? 田内氏:正解です。高すぎて、日本人は誰も買えないんですよ。不動産価格が上がって日本人の生活が豊かになっているかというと、決してそんなことはない。 唐鎌氏:その通り。だから、対内直接投資残高を上げるために、「外資の不動産投資を呼び込みましょう」というのは、「30年までに100兆円」という目標を実現する近道になるかもしれませんが、「日本経済の復活」という目的に寄与するかどうかは分かりません。手段と目的をはき違えていると言えるかもしれません。 ●人手不足対策には生産性を高めるしかない 外資に積極的に投資してもらうためには、何が必要でしょうか。 唐鎌氏:外資系企業が日本へ対内直接投資を決める際、もしくは日本企業が国内へ回帰してくる際、どうしても直面する2つの「不足」があると私はいつも強調しています。それは労働力と電力の不足です。 労働力と電力の不足問題については何の決定打もないまま今に至っています。これを放置したまま対内直接投資をどうやって増やすのか。難しい問題です。「不動産投資で対内直接投資が倍増しますよ」と言われても、嫌だなと思います。 田内氏:嫌ですよ! 労働力不足は私も気になっています。いや、本当にヤバイと思っています。新NISAやiDeCo(個人型確定拠出年金)で必死になって老後資金をためても、皆の需要を満たすためにはこれから毎年3万人ずつ介護職の人を増やしていかなければならないそうです。人口が減っていく中で、今後20年間で60万人もの介護職をどうやって増やすか。 介護分野の人材を確保できたとしても、違う分野の人材が減っていくことになります。どの分野でも人手不足は深刻です。必要な量の製品やサービスが提供できなければ、必然的に物価は上昇してしまいます。皆が十分お金をためたつもりになっていても、結局のところ、インフレによって皆には行き渡らないのです。 例えば、唐鎌さんの『弱い円の正体』でも、長引く円安の背景には「研究開発サービスの赤字」があると書かれていましたが、日本では研究職の人が減っているといわれていますよね。昔の日本は新しい素材の開発において世界トップレベルでしたが、素材の開発にしても人海戦術が必要な部分もありますから、今では衰退してきています。こうした状態が続くのは望ましいことではありません。 唐鎌氏:まさに、おっしゃる通りです。結局「2つの不足」問題を突き詰めていくと、労働力については移民政策、電力については原発政策の処遇を議論することになります。いずれも政治の現場では半ばタブー視されやすいテーマですが、日本経済のボトルネックであることは間違いないでしょう。 田内氏:いずれにしても全体としての最適解は明確で、無駄な業務を極力減らして生産性を高めていくしかない。そのためには、産業の垣根を超えた労働や雇用の流動化が不可欠です。日本が農業国から工業国に変わる過程では、農家を辞めて工場で働こうというような転職はさほど必要なかった。現役世代はそのまま農家を続けて、次の世代が街に出ていくことで対応できたので、ゆっくり時間をかけることができたんですよね。ところが、今の私たちが直面している人口動態に起因する労働力の問題は、今後、急速に進行しますから、しっかり議論する必要があると思っています。 (構成:森田聡子)
田内 学