『センスの哲学』は感情優位の社会に対する抵抗の書だ。生成AI時代の「判断力」の育て方、「人生の機微を味わう回路」の作り方のヒント。
感情的な共感が優先されるネット空間。そこで生まれがちな「傷の共同体」
現在のネット空間がいわゆる脊髄反射的であり、感情的な共感が優先されている点については、多くの人が指摘しています。ネットというツールの普及によって、自分と似た「傷」を持つ人を簡単に見つけられるようになり、共通の敵を見つけて攻撃性を高める「傷の共同体」が生じやすくなりました。こうして、共感の共同体に執着する中で、新しい社会的正しさに自分の痛みを重ね、自身のアイデンティティに正当性を与えようとする人が増えました。それはしばしば、彼らが本来は憎んでいたはずの権力構造を内在化してしまっているかのようにも見えます。 この状況下で、いつしか自分のうらみつらみが他人に吸収され、個々の傷が他者に乗っ取られても気づかない状況が生まれます。もしくは、気づきながらも、その自己疎外の苦しみを他者への攻撃として発散し、自らの痛みを意識しないようにさえしてしまいます。 こうした、自分独特の感覚を手放した後の「傷」は、本当にその人のものなのか疑問が残ります。こうして個々の心の痛みさえも、他者の視線や目的のための手段となり、空洞化してしまうのです。文学やエンタメの世界でも、社会的正しさに自分の傷を重ねた作品が増えているのは、まさにこの現象の反映でしょう。
『センスの哲学』は感情優位の社会に対する抵抗の実践を説く
千葉は以前、自身の小説の要素を「「脱葛藤化する」ことにすべてがある」と発言していて、これはきわめて示唆的です。つまり、ものごとを意味的に目的的に、もっと言えばゴシップ的に捉えるのではなく、フォルマリズム的にそっけなく見ること。ここに「脱葛藤化」のヒントがあり、ファッショな感情優位の社会に対する抵抗になる。そのことを描いたのが千葉の小説であり、さらにそれを読者が実践できるように示したのが本書ということになるでしょう。「傷」に表象されるような葛藤をまずは手放すことを、千葉の仕事は僕たちに教えてくれるのです。 このように、あらゆるものごとを別のしかたで見ることは、読者にとってアテンション・エコノミーに抵抗する「生活改善運動」であるとともに、事務的な手続きの風通しをよくするビジネス改善運動でもあり、さらに「非戦」を唱える以上の波及的効果が期待できる平和運動でもありえるはずです。 最後に、本書では「センスがある」ことと「センスが無自覚」であることが反転し、「アンチセンス」という視点が提示されます。この「アンチセンス」とは、その人特有の「どうしようもなさ」、つまり生成AIには真似できない個性が表れる部分であり、芸術と生活をつなぐ鍵ともなるものです。僕たちは、その「アンチセンス」を通して、自己目的的な「センス」を見つけ出せるかもしれません。それは、例えば、誰かのピアノの一音にその人自身を感じ、無意味な中に深い意味を見出す瞬間に似ています。
鳥羽 和久/文春新書
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