『センスの哲学』は感情優位の社会に対する抵抗の書だ。生成AI時代の「判断力」の育て方、「人生の機微を味わう回路」の作り方のヒント。
「文化資本の特権性」の脱構築――判断力のポイントを後から学ぶことは可能だ
タイトルに含まれる「センス」という言葉は、多くの人をドキッとさせるものです。なんだか私のコアの部分が試されているな、という感じがする。本書にもあるとおり、センスとは「直感的にわかること」ですから、逆にわからない人は死んでもわからないからはじめから論外という感じになってしまう。さらに、センスにはこなれ感みたいなものが不可欠で、そうなるとどうしても幼い頃からの文化資本(どれだけ物量的に「よいもの」に触れたか)に左右されてしまう。こういう風に言うと、センスというのはとても特権的ですよね。 この本のユニークさは、このような文化資本の特権性について反省的な身振りを提供するのではなく、「文化資本の形成とは、多様なものに触れるときの不安を緩和し、不安を面白さに変換する回路を作ること」と動的に脱構築した上で、その生成と効果に焦点を当てている点にあります。そして、「判断力のポイント」を学び、それをもとに再出発することで文化資本のある人(すごい量をこなしている人)に対抗することは後からでもある程度可能であると述べ、さらに、「民主的な教育というのはそういうことではないでしょうか」と付け加えています。こうした視点には、目を開かれる思いがしました。 このことを踏まえると、本書は読者が「判断力」をライフハック的に得て文化資本の差異を埋めることで、フラットな民主化を促す教科書と言えそうです。ただし、これはけっして「文化資本を持っている人間はエライ」という話ではありません。千葉の仕事の特徴は、いわゆるインテリの価値を尊重しつつ、同時にその反面にある別の価値、いわば「ヤンキー性」みたいな側面にも関心が向けられている点にあります。これらを両立させる視点を持つことは、千葉の作品を読むためのコツみたいなものです。
センスを育てるとは、人生の機微を味わう回路を作ること
繰り返すと、文化資本の形成には「多様なものに触れるときの不安を緩和し、不安を面白さに変換する回路を作る」効用があるわけで、それは本文中の言葉で言い換えれば、「どこかに「問題」があること」をむしろ楽しむことができる回路が開かれるということです。これは人生の機微を味わうことに通じており、もし教育がそこに関与できるとすれば、こんなにうれしいことはないと、教室で日々子供たちと過ごす僕などは思ったのです。 本書では、「センスがある」ことと「センスが無自覚」であることが対置され、ラウシェンバーグの絵画などを例に、「センスに自覚的になる」方法が具体的に提示されています。だから、これを読んで、美術館における絵の見方が変わったり、音楽や絵画にとどまらずあらゆる造形や文学の中に「うねり」と「ビート」を伴ったリズムを見出したりと、芸術鑑賞をとおして実際に「センスに自覚的になる」人が多出するでしょう。 しかし、本書が伝える効果は芸術だけではなく、日常生活にも直結しています。生活の中にはじめから当たり前のようにある「芸術と生活をつなげる感覚」に気づくことによって、僕たちの日常生活にささやかな変革がもたらされるのです。ラウシェンバーグの絵画や保坂和志の小説が登場するのも、その「センス」を磨くための実践的な演習の一環です。
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