大東駿介×浅野和之 日本初演『What If If Only―もしも もしせめて』は夜、寝る前にふと思い出す芝居
『A Number―数』との連続上演で問いかけて来るものとは?
――難解ながらも、この作品のどのような部分がおふたりの胸に響いてくるのか、伺いたいと思います。 浅野 やっぱり彼が苦悶しているところから始まって、最後に自分を発見……じゃないな。何て言ったらいいんだろう。チャーチルは、“彼に突然光が射して、人間が変わった”みたいな作り方はしていないと思うんですよ。難しいね。でも何か彼の中から出てきたものによって、変わっていくところは感じてもらえるだろうなと思う。チャーチル自身も、言葉に置き換えてそれを伝えようとするより、何かもっと感覚的なものに訴えかけているような気がする。僕が演じる未来というのは、五感のような気もするんだよね。視覚とか嗅覚とか触覚とか、そういった五感みたいなもの。そういう感じ方をする作品なのかな……って漠然としていてすみません(笑)。 大東 いや~難しい、何でしょうね。この某氏には、“あの時ああしていれば”“もしもああならなければ”ということが山ほど、痛みの数だけあって。だけど結局生きていく限り、起きたことを変えることは出来ないし、過ぎ去った“もしも”より、今自分が手にしているもので歩んでいくことが、次の未来を作るんだなと……。でもそうわかってはいるけど進めない、みたいな。単純にいうとそういう話なんですけど(笑)。進むに進めない人間の葛藤を20分の戯曲に起こしてある、それが凄いなと。自分の人生においてもいろんなことを思い起こさせる作品なんですよ。ああ、確かにあんな痛ましいことがあった、それでも僕は生きていく……そんな荒療治を受けているみたいな芝居(笑)。「過去はもう死んでいるし、生きているのはお前やろ? 今、お前が生きている道を歩めよ」と言われているような気がして。一歩一歩、これまでの“もしも”を背負って、涙を拭きながら進んでいく。ものすごい勇敢な戯曲だなと思いました。 この作品と『A Number―数』の二作が連続して上演されることも、よく出来ているなと。いち個人の明日を生き抜く感情、成長を描いた『What If If Only―もしも もしせめて』と、自分を形作るものとは何ぞや!?というテーマの『A Number―数』が同時に上演されることで、お客さんは「今、劇場にいるアナタは何者ですか?」と問われるように感じるのではないでしょうか。世界はこれからどうなっていくのか、本当に不安なことはいっぱいあるし、今はしっかりと自分というものを握りしめて、前に進まなければいけない時代なのかなと。そのきっかけをくれる二作品じゃないでしょうか。 浅野 素晴らしい締めだね!(一同笑)やっぱりこの作品の“もしも もしせめて”というタイトルは、誰しもが感じることじゃない? あ~あの時あんなことしてなきゃな~とかさ。大なり小なり、誰もが通ることだし、きっと死ぬまでね。死ぬ間際だって、“ああ、あの時ちゃんと医者にかかっていれば、こんなことにはならなかったのに”と思って死ぬのかもしれない。そういう思いをひとつ、お客さんに投げかける。今、大東君の話を聞いていて、それは気づかされるだろうなと思いましたね。