「持っている」 人に恵まれ今ここに サザンオールスターズには足を向けて寝られない 話の肖像画 喜劇役者、劇団SET主宰・三宅裕司<1>
《今年は昭和100年。劇団「スーパー・エキセントリック・シアター(SET)」を主宰する三宅さんは、昭和の浅草喜劇をルーツとする東京喜劇の伝承・発展を目指している。昨年(令和6年)は、SETの創立45周年記念「ニッポン狂騒時代」を上演。「ヤングパラダイス」(ニッポン放送)のパーソナリティーとして『しゃべり続けて40年 今だから話せるナイショ話』(扶桑社)を出版するなど記念の年となった》 私は運を持っているんです。高校受験では、絶対受からないといわれた明治大学付属明治高校から補欠の連絡が来ました。 補欠ってことは誰かが他の高校へ行ってくれれば合格ですよ。案の定、合格通知が来ました。 付属校ですから試験を受けずに大学へ行けるのですが、高3のとき、「君の成績では経営学部は2部(夜間)にしか進学できない」と言われました。そこで、担当の先生に相談したら、その先生が学内で力のある方だったらしく、1部に受かっちゃった。 SETを旗揚げしてからは、芸能プロダクション「フィルム・イレブン」を立ち上げた出口孝臣さんに誘われてSETごと所属となりました。出口さんは、自分の持つノウハウをフル回転させて、SETを売り込んでくれました。 その一つとしてニッポン放送の社内でプロデューサーやディレクター向けに公演を打ったんです。 それで名前を知ってくれたのでしょうか、プロデューサーの宮本幸一さんがSETの本公演を見にきてくれました。 《宮本氏は新番組「高原兄のヤングパラダイス」を始める直前で、番組内のコーナー担当者の人選をしていた。SETの舞台の熱気に圧倒された宮本氏は「SET劇場」という5分間のコントコーナーを作った》 これを評価してくれたのが、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の高橋幸宏さんです。 《高橋氏は高校時代からドラマーとして活動。サディスティック・ミカ・バンドなどを経て、細野晴臣氏、坂本龍一氏とYMOを結成。テクノポップは日本だけでなく海外でも大人気となった。作曲家やファッションデザイナーなどとしても活躍。令和5年死去。享年70》 高橋さんは深夜放送、オールナイトニッポンのパーソナリティーを担当していて、「面白いから番組に呼ぼう」となって、SETがレギュラーに決まったんです。高橋さんとはYMOのアルバム「サーヴィス」でもコラボレーションしていて、恩人です。