自分の肉体の衰えを「おもしろいと思った」――内村航平、体操キングの強靭かつ「変態的な」メンタリティー
中学卒業後、「体操を本気でやりたい」という思いから親の反対を押し切り、単身上京して東洋高校に入学。かねて尊敬していた日本体操界のエース・塚原直也が所属する朝日生命体操クラブに入門した。しかし、実際の練習は思い描いていたものとは全く違っていた。 「難しい技とか自分のやりたい技をひたすら練習しているイメージだったんですけど、入ってから1年半ぐらいはずっと基礎的な練習と筋力トレーニングばっかり。全然面白くなかったですね(笑)。でも2~3年生になって技を練習し始めたら、その基礎トレーニングをやっていたおかげでビックリするぐらいすぐに習得できたんですよ。難しい技でも1週間ぐらいで覚えられて。そのおかげで結果を残せたし、無駄じゃなかったんだなっていうのを知りましたね」 電車の路線が複雑すぎる、方言が通じない、でも、女の子はめちゃくちゃ可愛い――長崎から東京に移り住み、体操漬けの生活に365日明け暮れる中でも、普通の青春を過ごす時間もあったようだ。 「あくまでも体操をするために上京したので、練習はちゃんとやってたんですけど――電車で1時間半ぐらいのところに住んでいる女の子と付き合っていたこともありました。ただ話をするためだけに、電車でわざわざ時間をかけて行って……しかも30分ぐらい遅刻されて。東京の女の子ってこんな感じなんだあって思ったのを覚えてます。あれは純愛ってやつだったんでしょうね(笑)」
結果は当然、さらに「美しさ」を求めた現役生活
世界を意識し始めたのは、高校3年生の時。国内外の大会でめきめきと頭角を現し始めていた内村は、日本のトップ12人に該当するナショナル強化指定選手に選ばれた。高校卒業後は日本体育大学に進学し、同大学の体操競技部に所属。そして2008年、北京大会でオリンピックに初出場する。 「当時は全然注目されてなかったので、プレッシャーも全くなかったんですよ。(前大会の)アテネで金を取ってるので先輩方は大変だったと思うんですけど、1人だけノープレッシャー。先輩からは“こいつなんなんだよ”って思われていたんじゃないですかね(笑)。もう本当に、楽しくやらせていただきました」 “小学生が遠足に行くような感じのワクワク”感で臨んだオリンピックで、個人総合・団体の銀メダルを獲得。個人総合における日本人選手のメダル獲得は、ロサンゼルス・オリンピックで具志堅幸司が金メダルを獲得して以来24年ぶりという快挙だった。しかも10代の選手として個人総合では日本初のメダル獲得だったということもあり、内村航平の名前は日本だけにとどまらず世界中に一気に知れ渡ることとなる。 「当時、インタビューで『日本に帰ったら一日中寝たい』って答えたんですけど、実際のところは、帰った次の日には練習を始めてました。というのも、北京で金メダルがちょっと見えたんですよね。初めてのオリンピックを経験して、自分がやってきたことが間違ってなかったんだなってことも確認できたし、もっと練習すれば必ず世界一になれるんだという自信も生まれたので、何かに導かれるように練習をしていた覚えがあります」