安倍首相の米議会演説 アメリカはどう聞いたか?
安倍首相が4月29日行ったアメリカ連邦議会の上下両院合同会議での演説について、アメリカではどのように受け取られたのでしょうか。日本の首相が連邦議会で演説を行うのは1961年の池田首相以来、54年ぶりであり、上下両院の合同会議では初めてです。この事実ともに演説の内容にしても話し方にしても、一部批判的なメディア報道もありましたが、安倍首相の今回の演説は日米関係には歴史的な1ページを刻んだといえるでしょう。 【写真】安倍首相への批判の言葉「歴史修正主義」とは?
日米関係にとって歴史的な演説
演説では、一つ一つのエピソードに首相自身の思いが込もっていたほか、「自由」「民主主義」「法の精神」「希望」などアメリカの知的土壌の中で受け入れられやすい言葉を選んでいました。何よりも未来志向で前向きでした。演説を見たアメリカの知人数人に連絡してみましたが、日米関係の政策に関与する友人は「ワシントンで欠如しかけていた日本のプレゼンスを再確認できた」と言っていました。また、日米関係に直接関係しない仕事をしている友人も「ユーモアがあり、愛される演説だった」「言いたいことが伝わった演説だった」と述べていました。 日本語でなく、英語で話すことも功を奏したと思います。オバマ大統領との首脳会談の成果を伝えるための前日の28日の共同記者会見が日本語だったのに対し、「セレモニー」の場であり、相手の懐に入る必要がある議会演説では英語の方が適しています。演説後に一部のメディアは「heavy accent(なまりがあってわかりにくい)」があると伝えましたが、これはそもそも想定済みです。ドイツなまりのわかりにくい英語で1970年代にアメリカ外交を仕切ったヘンリー・キッシンジャー元国務長官の例のように、移民の国であるアメリカには外国人風の英語は許容する知的風土の中が存在します。3月に同じく連邦議会の上下両院合同会議で演説したイスラエルのネタニヤフ首相はフィラデルフィアで高校時代を過ごしたこともあって、非常に流暢な英語でしたが、これは例外中の例外です。 この日のために多忙な安倍首相が何度も何度も時間を取ってリハーサルを続けてきたことが演説をみてはっきりとわかるのも、共感を呼んだはずです。何度か切るところを間違って、文章の途中でスタンディングオベーションとなってしまい、間が空いてしまうというのもご愛嬌でした。オバマ大統領の毎年の一般教書演説ですら、同じようなケースは何度もあります。授業で学生に演説をみせましたが、東アジア諸国との関係に踏み込んでいない点などの内容についての議論はありましたが「何よりも安倍首相の努力に胸が熱くなった」といった英語を専攻している学生の言葉が象徴的でした。一連の訪米過程を支えたスタッフもかなり努力をしたのかと思います。 内容については、「東アジアの歴史認識に踏み込んでいない」「安全保障関連法案を夏までに成立させる考えを明言したのは時期少々」などの批判もありますが、少なくとも今回の首相演説を聞いて強い反感を持つような層はアメリカでは少数派かと思います。