「お前、親父さんの仕事を見ているか」飲み屋でかけられた言葉 関東から北海道に戻り、「帰りたくなるイエ」を作る家業を継いだ3代目
◆顧客が求めている以上のものを提供する難しさ
----建築の仕事をするうえで土木との違いや戸惑い、気づきはありましたか? 最初の3年はベテランの大工たちと一緒にずっと現場、5年目から現場管理、その後に顧客との折衝を覚えていきました。 気づいたのは、父のように顧客が求めている以上のものを提供することの難しさです。 例えば、「お風呂を直したい」と言われたとき、単純に浴槽を取り替えればいいのかというと違います。 高齢夫婦なら段差をなるべく無くし、掃除を含めて使い勝手を良くする提案をする必要があります。 小さめの浴槽で内側に腰掛けがあるタイプのものが使いやすく、使用する水の量やお湯を沸かすためのエネルギーも減ります。 でも、お客さんが発注するときは「お風呂を直したい」という表層的なことしか言いません。 言語化されていないリクエストを先回りして聞き出さないと、求めている以上のものを提供することはできません。 土木時代は、顧客と直接接することがほとんどなかったので、失敗を重ねて得た建築の気づきです。 ちなみに、当社は家族が暮らす場所を「家=住居」ではなく、「イエ(home=帰る場所) 」と定義しています。 ライフスタイルに合わせて豊かに暮らすイエ、帰りたくなるイエであってほしいという願いで定義しました。
◆ほぼアナログ思考の会社を「組織化」するために
---入社後、組織化とデジタル化を推進したとお聞きしています。 私が入社した当時、会社にはマネジメントの概念がほぼなく、職人から経営まですべてをこなす先代社長の父によるトップダウン方式でした。 経営面だけでなく、働いている職人さんたちもほぼアナログ思考でしたので、デジタル化していかないと存続は厳しいと感じました。 ただ、土木出身で職人ではない私が、父のようなオールマイティーな社長にはなれません。 ベテラン職人も父だからついてきてくれたはずで、私が引っぱっていけるかと考えたとき、会社の組織化が必要だと思いました。 トップダウン方式をやめ、例えば現場仕事を一つの組織として任せるスタイルを目指しました。 実現のため、長くフリーで現場監督を経験した1つ年上の先輩をスカウトし、私と同時に入社してもらいました。 現在、当社の部長となった彼と私で、少しずつ組織化を推進し、マネジメントの概念を取り入れていきました。 とはいえ、父が度々現場に現れては仕事を指揮しようとするのを止めさせたり、昔気質で高齢の職人さんにデジタル化で苦労をかけたりと、いろいろ難しさもありました。 ただ、私を子どものころから知っている従業員が多くいましたので、新しい取り組みにも協力的で、温かく迎え入れてもらえたと感謝してます。 ----事業承継の準備をしていたところで先代が急逝されました。 父は間質性肺炎という持病を抱えていました。 私は入社から5年が経過し、62歳となった父にはあと3年で引退してもらうつもりでした。 その3年間を準備期間として事業承継や経営について学んでいたとき、父は65歳で亡くなってしまいました。 今思うと、現場から経営までこなした父のすごさを実感しますし、もっといろいろと聞いておきたかったこともあります。
■プロフィール
神馬建設 代表取締役 神馬 充匡 氏 1977年6月5日、北海道浦河町生まれ。苫小牧工業高等専門学校・土木課を卒業後、 1998年に岩倉建設入社。関東で土木現場の監督などを10年間務め、2010年に神馬建設に入社。父の逝去を受けて、2018年に代表取締役に就任。ニーズに合った「イエ」づくりなどの民間事業と公共事業の両方に対応しながら地域のインフラを支え、過疎化が進む浦河町および周辺エリアの地域活性化など幅広く活動する。