絶海の孤島・青ヶ島在住の40歳女性が語る、「日本一人口の少ない村」が約50年も“無人だった”ワケ「島民130人以上が死亡して…」
島民はひんぎゃを利用した天然のミストサウナに通っている
青ヶ島にある『ふれあいサウナ』の温度は、50~60度と言われています。数字だけ見ると、『ぬるいのかな?』と思う人も多いかもしれません。でも、ひんぎゃを利用した天然のミストサウナは、実際はかなり暑い。季節によって温度が変わるのも、自然の熱を利用しているからこその特徴です。1回300円で利用できるから、毎日通っている島民もいるんですよ。 サウナの隣にある、ひんぎゃの蒸し釜『地熱釜』も島民御用達です。野菜や肉、魚などいろんな食材を蒸せるんです。なかでも、私のお気に入りは卵! パックごと入れて30分ほど蒸すと、良い感じにホックホクなゆで卵ができあがります。 ひんぎゃの影響は他にもあります。例えば、高温の水蒸気が発生している池之沢は、冬でも温かい日が多いんですよ。昨年は、12月に半袖を着ていても汗ばむような日もありました。 また、ひんぎゃで温められた地面はとっても温かく、寒い日でも地面はホカホカ。冬の夜の池之沢で寝転ぶと、天然の床暖房で温まりながら、満天の星を見られるかもしれません」(佐々木加絵さん、以下同)
青ヶ島が“無人島”と化した歴史
青ヶ島の特徴である「ひんぎゃ」や「二重カルデラ」を語るうえで欠かせないのが、1785年に起こった「天明の大噴火」だ。この噴火により、当時の島民327人のうち130~140人が死亡したと推定されている。また、200人以上の島民が隣島の八丈島に避難し、約半世紀もの間、青ヶ島は無人島と化した。 「八丈島に避難できたのはいいけど、その頃の八丈島は飢饉の真っ只中。現地の人たちですら食事に困っている状況だったから、避難してきた青ヶ島の人たちはかなり肩身の狭い思いをしていた、と聞いています。だから、温かい気候でサツマイモなどの農作物が豊富に採れる青ヶ島に帰りたい、と願う人が多かったんじゃないかと」 当時の島民たちは力をあわせて、何度も船で帰島を試みた。しかし、波風の強い断崖絶壁の島には、辿り着くことさえ困難だった。まれに到着できても、噴火の影響で荒れ果ててしまった青ヶ島の土地で生活するのは不可能だと思われた。