39歳で始めた不妊治療をついに卒業。待っていたのは父の涙と酒好きの旦那にキレる日々
ついに手にした卒業証書
そして、順調だったらいよいよ卒業という診察の日。「成長がゆっくりだ」と言われたが、赤ちゃんはきっちり成長していた。 だけど、「赤ちゃんは育ってるけど、ホルモン値が下がってるので念の為もう一度だけ来てください」と言われてしまった。また、安心より不安が勝つ。この一喜一憂、何度繰り返すんだ? 母子手帳をもらう未来になかなかたどり着けない。 卒業が延期になったことを母に報告すると、「まだ不安はあるよね、でもお腹に伝わるとよくないから、前向きに大丈夫って思うのもいいんじゃない?」と、不安になることを許してくれない。通常のメンタルで聞いたら優しい言葉をかけてもらったと思えるだろう。だけど楽観的に考えられなかったこのときの私は、母の言葉に苦しんだ。何が大丈夫? お腹に伝わる? どこの迷信? 母が悪いとは思わないが、そういう精神状態だったのだ。 そんなスーパーナーバス状態で迎えた翌週。採血から1時間以上待たされるのは異例なので、採血結果に異常があったのかと思ったり、前日に推しのライブに行ったことで急変してたらどうしよう……と、ますます不安に。 結果、下がっていたホルモン値も戻り、赤ちゃんも無事だった。 浮かれたら嫌なことが起きる気がして、ずっと浮かれずにいたが、旦那と回転寿司に行く約束までしてしまった。生ものは食べられなくても、納豆巻きだけでもいいから寿司を食べたいと思うほどには浮かれていた。 ついに、卒業証書(という名の注意事項)をいただき、クリニックを卒業。不妊クリニックの卒業まで、治療期間は約1年半。私の場合は、タイミング療法、人口受精等はすっ飛ばして、最初から体外受精、2回目から顕微鏡受精とスピード感を持って進んだ。何年も治療している人からしたら「はいはい、笑わせるな」と思うかもしれないけど、私たちにとってはとても長かった。 クリニックを卒業したその日のうちに夫婦で母子手帳をもらいに行った。妄想で終わるのかと思っていた母子手帳をもらう未来にたどり着いた。 保健センターで20分ほど説明を聞く。母子手帳とともに恐ろしい量の冊子を受け取る。「時間があるときに目を通しておいてください」史上、一番の量だ。こんなことで萎えてたら子育てできないぞ!と、もうひとりの自分が叱ってくる。 帰り際、保健センターの前でピースをして記念写真を撮ったが、こんなに浮かれていたら産まれるまでに何か悪いことが起きるんじゃないかと怯えてしまう。 家族には母子手帳を持ってピースしている写真を送り、無事に妊娠したことを知らせた。父からは「大事にな」とひと言だけ返信が来たが、母から「お父さん泣いてたよ」と連絡が来て、私も泣いた。 義両親は旦那に対して「妻をとにかく労わって、大切にしてあげて」としつこく言ってきたらしい。