「笑って国に殉じる」熊本からの特攻隊「義烈空挺隊」見送った女性の思いが込められた仏像をゆかりの地に
KKT熊本県民テレビ
太平洋戦争末期、熊本市から飛び立った特攻隊「義烈空挺隊」のゆかりの仏像を移設・保存しようと、募金活動が行われています。仏像には、特攻隊員を見送ったある女性の思いが込められています。
熊本市中央区黒髪にあった銭湯「観音湯」。20年ほど前に廃業しましたが、敷地の一角には、今も普賢菩薩像が残されています。この仏像こそ、義烈空挺隊の隊員の冥福を願って建てられたものです。
義烈空挺隊は、アメリカ軍に占領された沖縄の飛行場を攻撃するために編成された特攻隊で、隊員は出撃までの2週間ほどを熊本市の健軍飛行場で過ごしました。 このうち谷川鉄男曹長ら5人は、よく連れ立って黒髪にあった銭湯に通いました。
このことは「帰らぬ空挺部隊」という本に書き残されています。 「毎日激しい訓練を積み、疲れを癒すのは入浴だった。滑走路を横切って飛行場の兵舎まで行けば浴場があったが、手狭なため町の浴場に行く者が多かった。(中略)五人は、よく連れだって市内黒髪町の銭湯に行った。(中略)銭湯の女主人・堤ハツさんは、(中略)五人には、何か心引かれるものがあったのだろう。茶を御馳走し繕いものも引き受けてくれたりした。」(「帰らぬ空挺部隊」より)
しかし別れは突然やってきました。 「このようなことが十回ばかり続いた後ある日、五人は(中略)最上装の軍服に身を固め、この家の玄関に立った。『小母さん、いろいろお世話になりました。今から出発します。この金は私共にはもう使い途がなくなりましたから』谷川曹長が代表してこのように述べ、金一封を差し出した」(「帰らぬ空挺部隊」より
義烈空挺隊は、終戦3か月前の1945年5月24日に出撃しました。隊員14人ずつを乗せた12機のうち4機が故障のため引き返し、残る8機が突入。そして突入した8機の搭乗員は全員死亡し、この作戦で引き返していた機の1人を含む113人が戦死しました。
作戦の後、ハツさんに届いた手紙。 「待機中の私達も、愈々(いよいよ)最後の任務に向かい突進致します。私達にいつも御親切に慰めて下さったおばさんの気持ちには感謝のほかはありません。私達も笑って嵐に向かい、笑って元気一杯に戦い、笑って国に殉じ、笑って皆様の御期待に報ゆる覚悟です。愛機南へ飛ぶ。乱筆にてさようなら。谷川鉄男」(「帰らぬ空挺部隊」より)