「笑って国に殉じる」熊本からの特攻隊「義烈空挺隊」見送った女性の思いが込められた仏像をゆかりの地に
後日、義烈空挺隊のことを新聞で知ったハツさんは、隊員が置いて行った金75円を元手にして普賢菩薩像を建て、お参りを欠かしませんでした。
銭湯は約20年前に廃業 慰霊の仏像は…
ハツさんは1979年に亡くなり、銭湯は20年ほど前に廃業しました。普賢菩薩像には史実を知る人が時々お参りに来ていましたが、地域の人たちからは、このまま朽ち果てるのではないかと心配されていました。
空挺隊の史実を調べている菊池飛行場ミュージアム館長の永田昭さんは、像の存在を知ると、移設・保存できないかと考えました。 ■菊池飛行場ミュージアム 永田昭館長 「やっぱりそういう事実が地元にきちんとあったということをしっかり検証できる資料になりますので、ぜひ形として残したいというところですね。記録だけじゃなくて、やっぱり物として残す価値があると思っています」
ハツさんの孫の堤裕倫さんを探し出すと、じつは裕倫さんも、像が自分の代で失われることを心配していました。裕倫さんもハツさんから戦時中の話を聞いていたのです。
■ハツさんの孫 堤裕倫さん 「義烈空挺隊の話は、よく小さい頃は聞かされていました。将来、どうにかしないといけないとは思ってますけど、『とりあえず先にこの碑と像を移さないと』とずっと思ってたいんですよ」 裕倫さんから同意を得た永田さんは、移設先として空挺隊ゆかりの地であり、皆がお参りできる場所を探しました。 ■菊池飛行場ミュージアム 永田昭館長 「出撃の地が健軍飛行場といいまして、今の日赤の辺りなんですけど、あの周辺は今は住宅地で全くそういう痕跡が残っていないので、やっぱり出撃の地に何か形になるものはできないかと考えている中で、きちんとしたお寺とか神社に持っていくのがいいんじゃないかと思ったところです」
空挺隊員が集合して軍装検査を受けている写真の背景には立田山が見えます。 ■昔の立田山を知る人 「ほんと禿山だったけんね。昔ははげ山だった。木が無かった。戦争の時に切ってしまった。そして燃やした」 ■菊池飛行場ミュージアム 永田昭館長 「なんで?」 ■昔の立田山を知る人 「薪代わりに」