7人が死亡した無差別殺傷事件 「秋葉原事件」とは何だったのか
東京・秋葉原で2008年6月、7人が死亡し10人が重軽傷を負った無差別殺傷事件、いわゆる「秋葉原事件」で、殺人罪などに問われ1、2審で死刑判決を受けた元派遣社員、加藤智大被告(32)の上告審判決が2月2日に最高裁第1小法廷で言い渡される。秋葉原事件とは何だったのか。事件の取材を続けた伊藤直孝記者(毎日新聞)に寄稿してもらった。 ------------------------- 秋葉原事件とは何だったのか。東京地裁の1審公判(2010~11年)を傍聴取材した私の手元には、やり取りを書き留めた80枚のB5ノートが3冊ある。非正規雇用の不安など、発生当初語られた事件の動機は、判決でほとんど認定されなかった。加藤智大被告(32)はなぜ事件を起こしたのか、被告本人が法廷で語った言葉を中心に考えてみたい。 08年6月8日午後0時33分。東京・秋葉原のソフマップ秋葉原本館に面した交差点に、2トントラックが赤信号を無視して時速約40数キロで突っ込んだ。5人がはねられ3人が死亡。さらに歩行者12人が運転席を降りた男に刃渡り約12センチのダガーナイフで襲われ、4人が死亡した。警察官が取り押さえるまで、2分余りの凶行だった。
ベージュのジャケットに身を包む小柄な男。加藤被告の姿は歩行者に撮影されてネットにあふれた。事件後、その「物語」に満ちた半生も注目を浴びた。 1982年9月、青森県で金融機関に勤める父と職場結婚した母の長男として生まれた。「九九が言えないと風呂に頭から沈められ、食事が遅いとご飯を床の上で食べさせられた」(10年7月27日、被告人質問)。母親から虐待とも言える厳しい教育を受けた。 進学校の青森高に進んだが、母親への反発から四年制大学に進まず、短大を経て宮城、埼玉、青森と非正規雇用を転々とした。事件前年の07年には静岡県の自動車工場で派遣社員として働き始めた。 08年5月末、加藤被告は上司から派遣契約期間を6月末で終了すると伝えられ、6月5日には職場で作業着が見つからず怒りをぶちまけ帰宅。職を失った。不安定な若者が行き場のない怒りをぶつけたように見えた事件に、ネットでは共感の声があふれた。 だが、被告が法廷で語った犯行動機は、全く違うものだった。 「ネットの掲示板で自分に成りすます偽物や荒らし行為があった。事件を起こすことで、嫌がらせをやめてほしいと伝えたかった」 「現実はタテマエ社会だが、ネットはホンネ社会。『これを言ったら嫌われるかも』と気にせずに発言できた。掲示板の人間関係は家族同然だった」(10年7月27日) 彼はそこで虚実入り交じるネタ(冗談)を披露し、掲示板の住民たちにウケることを喜びにした。「不細工」「彼女がいない」。書き込み続けた内容は、あくまでネタだったと述べた。「加藤さんはいつも冗談を言ってみんな笑わせていましたが、携帯を見ているときだけは話しかけても何も言わない時がありました」(同僚の供述調書)。仕事以外はずっと携帯電話をいじるようになった。