板書の写しへ不安や悩みを抱く脳性まひっ子たち 寄り添う先生もいれば、“みんなと同じ”を強制する先生も
「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害のある子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出合った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。 【写真】板書の写しへ不安や悩みを抱く脳性まひっ子たち 寄り添う先生もいれば、“みんなと同じ”を強制する先生も * * * 先月、朝日新聞に「発達障がいからの進学」というタイトルでインクルーシブ教育に関する5回連載が掲載されました。私は連載のことをこのコラムを担当してくださっている編集者から聞いて知ったのですが、とても考えさせられる内容で一気に読んでしまいました。 発達障害の子どもは増加傾向であり、中でも読み書きや行動に困難を抱える生徒が公立小中学校では全体の8.8%いるというデータもあります(文科省,2022「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果」より)。今回は、さまざまな障害特性に関する困難さについて書いてみようと思います。 ■板書を写すときの無意識の動作 朝日新聞の連載の1回目の記事の見出しには、「手書きで板書を写すって重要ですか」と大きく書かれていました。注意・欠如多動症(ADHD)と自閉スペクトラム症(ASD)と診断されたある中学生は、「頑張れば書けるが、書くことに労力を費やしてしまう困難さ」があり、学ぶことよりも書くことに集中しなければならず、黒板に書かれた内容がまったく頭に入らないというエピソードが綴られていました。 一般的に、私たちが板書を写そうとする時には、無意識にいろいろな動作をしています。まず、黒板に書いてある文字を瞬時に覚え、黒板とノートの角度に合わせて首を動かします。でも実は、この時は首よりも目の方が上下に大きく動いています。そしてほぼ同時進行で、手を使って文字を書きます。この作業を当然と思われる方もいるかもしれませんが、困難な方もいるのです。暗記と動作の同時進行が苦手だったり、文字を逆向きに捉えてしまったり(鏡文字)、手首や指を動かしにくいためにスラスラと書くことができなかったり、手先の不器用さからノートの線の枠からはみ出してしまったり、目だけを動かす動作がスムーズにできず、上を向いた瞬間に書いていた段が分からなくなってしまったり……と、特性によってさまざまな不自由さがあります。 多くの場合は時間をかければ解決しますが、学校のマンパワー不足も深刻化する中で、クラス全体がひとりひとりのペースに合わせて待つことはなかなか難しいと思われます。でも合理的配慮があると、学校生活の負担が軽減する場合があるのです。