「最後まで自分を過信できなかった」甲子園で打率4割、大学リーグは5割超で首位打者…大阪桐蔭“最強世代”で春夏連覇の外野手はなぜプロを諦めた?
2018年の甲子園で春夏連覇を果たした大阪桐蔭“最強世代”。根尾昂(中日)や藤原恭大(ロッテ)ら4人をプロに送り込み、社会人野球で活躍する面々も未だ多い。そんなナインのひとりが昨年、大手総合商社に入社し商社マンとしての道を歩み始めた。圧倒的な強さで全国の頂点に輝いた男は、なぜ若くして野球界を離れることを選んだのか。その決断のウラ側を聞いた。《NumberWebインタビュー全3回の2回目/つづきを読む》 【変わりすぎ写真】「ユニフォーム→スーツでも…“青地スマイル”はそのまま!」大阪桐蔭“最強世代”から5大商社のエリート営業マンになった青地さん24歳の現在と、2018年夏「伝説の甲子園決勝」金足農との激闘も見る 幼い頃から野球を始め、大阪桐蔭という高校野球最高峰のチームで揉まれる野球人生を歩んできた以上、青地斗舞の目標はもちろん“プロ野球選手”だった。 進学した同志社大でももちろん、その夢は追いかけてきた。 だが、大学生活が中盤にさしかかった青地の心の中には色んな思いが駆け巡っていた。 「まず、高校では身近に藤原(恭大)というすごい選手がいて、自分のレベルを思い知った。その頃は何としてでもプロへという強い思考はなかったんですけど、ドラフト1位でプロに行った同級生を見ていて、自分もプロに行くなら1位で行くくらいの気持ちで4年間やらないといけないとは思っていました」 だが、実際は「大学は……トータルで見ると全然ダメでした」と本人は言う。 高校でも1年時はもがき苦しんだ。だが、その時と比べても大学では努力はしてもその方向性や、備えた力を発揮する難しさを痛感した。
コロナ禍の中で感じた「海外への興味」
さらに自身の思考を変えたのが、新型コロナウイルス感染症拡大の世界情勢だった。 新型コロナウイルス感染症拡大の影響はあらゆる分野に及んだ。学生野球界も、対外試合、リーグ戦はおろか外での練習も禁じられた。身体を動かすことすらできず、自宅のテレビで現状を伝えるニュースばかりを目にする中で、青地はあることが引っ掛かった。 「テレビの映像で海外の様子が流れることもあったじゃないですか。日本でもマスクをして、移動を控えるとか、色んなニュースが流れるんですけれど、コロナへの対応が海外では日本と比べると驚くくらいスピードが速いことに気づいたんです。病院を建てる早さとか、マスクの規制の緩和とか、日本にはないスピード感が伝わってきて」 海外の国々は、どんな風に動いているんだろう。コロナ禍というイレギュラーな状況をきっかけに、青地はそんなことが気になるようになった。 「海外に行くとなると英語を話せないといけない。調べてみると、英語が話せるようになったら世界の65%くらいの人とは話せるらしいということも分かった。そうやって広い世界に出ていくことで、たくさん得られることがあるのなら――大学卒業後は野球を辞めて、海外で働きたいと思うようになったんです」 やるからには、常にトップを目指したいと思っていた。 ナンバーワンを目指すという性分は、幼い頃からの両親の教育方針でもあった。 「勉強でも野球でも、何でも1番になりなさい、という両親のもとで育ったので(笑)。マラソン大会で2位になって帰ってきても怒られるような家だったんです。だから、何をするにも意識的に1番じゃないとダメというのはありました」 だが、野球では自身の限界を徐々に感じるようになっていた。そもそも高校・大学で歩んできた自分の野球人生は「ラッキーでした」と振り返る。 「僕は選手としてそこまで優れた要素があった訳でもないし、高校の時は繋ぎ役でした。大学では首位打者のタイトルこそ獲れましたけれど、バンバン打ったというより、泥臭く当てたヒットばかりでしたから、経歴として形は残っても中身はなかったと思っています。ウエイトトレーニングに力を入れて身体を大きくしたこともありましたし、もっと頑張れば違う可能性もあったのかもしれません。でも、自分の目指すところ――ナンバーワンには届かないのが分かってしまったので」
【関連記事】
- 【つづき/#3を読む】「それぞれの世界にプロがいるんだな」“大阪桐蔭で春夏連覇→5大商社の営業マンに転身”24歳の未来図「今はもう、野球をやろうとは思わないです」
- 【変わりすぎ写真】「ユニフォーム→スーツでも…“青地スマイル”はそのまま!」大阪桐蔭“最強世代”から5大商社のエリート営業マンになった青地さん24歳の現在と、2018年夏「伝説の甲子園決勝」金足農との激闘も見る
- 【最初/#1を読む】大阪桐蔭“黄金世代”で春夏連覇のライトが商社マンに異例の転身…「TOEICが730点ないと出張に行けなくて…」24歳“青地スマイル”の意外な「その後」
- 【こちらも読む】23歳で引退決断「この前、ガス点検に行ったんです」名門・履正社“初の甲子園制覇”の主将が語った転身…社会人5年で「プロを諦められた」ワケ
- 【あわせて読む】野球に未練は「ないですね」…大学ジャパン主将も経験“元・楽天ドラ4選手”がナゼ教育学の准教授に?「野球じゃなくても教えるのが好きなので」