停戦も選択肢?ゼレンスキー氏『勝利計画』“出口”の道筋は…前ウクライナ大使に聞く
■“戦地”での3年を終えて 前駐ウクライナ大使の松田邦紀さんに聞きます。松田さんは、ロシアのウクライナ侵攻前の2021年10月にウクライナ大使に就任。約3年の赴任を終え、帰国したばかりです。 (Q.激動の3年間だったと思いますが、特に印象に残っていることは何ですか) 前駐ウクライナ大使 松田邦紀さん 「この3年間で一番印象に残っておりますのは、岸田総理(当時)のウクライナを電撃訪問。そして、ゼレンスキー大統領の広島訪問およびG7参加。侵略されている国に日本の総理が初めて行く。そして、侵略されている国の指導者が遠く日本まで来る。岸田総理はこの戦争の本質である国際法違反、残虐のシンボルとなったブチャをご訪問され、ゼレンスキー大統領は広島を訪問して、戦争で破壊された町が復興していることを見て、この戦争の後の復興に対して必ずや復興できるという自信をお持ちになった。そういう意味では、この2つの訪問が戦争において一番思い出深いですし、また重要な意味を持っていると思います」 (Q.ロシアが侵攻を始めてから2年半を超えました。ウクライナの国民の皆さんも“戦争疲れ”を感じる局面もあると思いますが) 前駐ウクライナ大使 松田邦紀さん 「戦争疲れがないと言ったら嘘になります。ただ、ウクライナは日本の1.6倍の大きさの国ですし、地域によって戦争の被害、日々戦争を感じる度合いも違います。西ウクライナでは戦時中であっても復旧復興への動きが始まっておりますし、前線に近い東ウクライナでは悲惨な毎日が続いています。ただそういうなかで、例えば侵略している側のロシアとの比較において、防衛するウクライナにおいては徴兵を忌避する人の数が圧倒的に少ない。逃げ出す人がほとんどいない。また、女性がどんどん自ら志願して戦闘職種に就くと。私は様々な局面で、ウクライナの人たちが疲れを感じながらも、最後の勝利を信じて日々、戦場において広報において頑張っておられるというのは3年間まざまざと見せていただきました」