【証言・北方領土】択捉島・元島民 長谷川ヨイさん(1)
熊もいた
熊だと思ったらね、叫べばいいんだって。だから、私、終戦があってからね、ほら、お砂糖がないから、この内保のほうのロシアの民間人が住んでるとこを馬に鞍掛てね、ジャガイモ両方積んで、そして、私1人で行ってきたのね。そのときね、うちの馬だけどね、途中まで行ったらね、耳、こうやって動かなくなったのね。「え、何したの、あんた、子供だって、ばかにしてるのかい」って(呼びかけた次の)瞬間に「ああ、熊だ」って、思ってね。今度、「わーっ、おい」って叫んだ。そしたらね、ものの1分もたたないうちに耳おろして、馬歩った。だから、熊だった。ねえ。 母はね、いろんなことを教えてくれんのね。「熊はね、山の神だからね、3寸あったら身を隠すんだからね、いたずらしたらだめだよってね。叫べばね、ああ、人間がいるんだっていってね、噛み付かないから」。だから、噛まれた人なんかいないって。 ねえ。だから、あの島ではね、お母さんはね、すんごい物知りにならんかったらね、子供育てられない。だって、病院がない。富山の薬屋さんは何軒も入るよ。だけどね、誰も、そんないっぱい死んだ人もいない。ね、今、考えられないね。急病なんか出るとね、この留別まで戸板に乗せて4人で。そして、かわりの4人がついてね、この病院までね、行ったもん。ちょっとひどいもんだね。 遠い。何日も歩いた。だから、どこのルートで行くのったらね、内保からこっち行くのもあるし、こっちから行くのもあるんだよって。冬はスキー場から来たね。
兄弟は8人
―当時、兄弟は? いっぱい、何人いたんだ。8人。だけど、長男は、12、一回り違うから、私生まれたとき、もう中学出ちゃってそれから島へ帰ってこないで、何か、農業組合か何かに勤めて帰ってこないから、何か兄弟みたいな感じしないで。(合わせて)10人生まれたんだけど、2人、小さいときね、続けて、何か、すごくギャーッと叫んだから、「あら、どうしたの」って、うちへ入ってみたら、死んでたのね。続けて。だから、一番上と二番目の間に2人いない。男が5人、女が3人。 でね、私と一回り違う長男が、小さいときにへその緒を切ったでしょ。そのときね、ばい菌入ったのかへそが腐ってすごく腫れて、留別へ連れてったらね、「この人、もう助かんないから、だけれども、死ぬまでね、ちゃんとしてあげてね」ってね、母が泣きながら帰ってきたんだって。医者から、見放されたっしょ。寝かせて、仕事してたら、わんわんわんわん泣くからね、死ぬにしてもおっぱい飲ませなきゃないわってね、仕事から上がってきて、おっぱい飲ませて、おしめ空けたらもう膿だらけ。泣いたから、踏ん張って泣いたから、膿出て、ね、化膿したのが。そしてあんた、84歳まで生きて死んだ。 だから、人間って、やっぱり寿命あるんだな。先生にね、「この子はもうだめだからな、お母さんあきらめれ」って言われたってな、それでて、そうやってね。私、あそこにはね、産婆さんいた、入里節にはいたんだよ。 私のへそ、誰切ったと思う。 ―分かりません 想像つかない? ―はい つかない? ―はい うちの父。 ―そうですか だから、何でもね、勉強してない、子供育てられない、あの島は。でも、私たち元気でしょ、父が切ったっていうけど。ね。「何で、とうさん、私の腹、へそ切んのよ」って、私は言ったけどね、もうね、一番私をかわいがって、かわいがってね、「あんたくらい、父にかわいがられてる人いないわってな、へその緒まで切ったよ」ってね、母言ってた。ねえ。