【証言・北方領土】択捉島・元島民 長谷川ヨイさん(1)
―たんぱく質がないですね。 ない、ない、ない、ない。お魚はたくさん。ウニだって。もうウニはね、こんなおっきいのばっかりとれるけどね、食べない。ね、食べないってね、食卓にのぼるのはね、一夏に2回くらい。生で食べないでお醤油で煮るの。そして、タイナっていう菜っ葉だけ入れて食べる。海藻なんかはね、たくさんあるからね。海苔とか、ザルメンとか、そんなの。 豊かなのよ。昔は冷蔵庫ないから、生でなんかとったってすぐ腐っちゃう。6から7月にサルメンとか、ギンナンソウ、フノリ、チシマノリ、そういうのの解禁があって。8時から12時まで、ノリね。すっごい波が荒いとこに獲りに行くの。 雪はそんなに降んない。根室よりはね、ちょっと暖かい。だから、いつまでたっても、私、根室の風になれないの。だから、いっつも風邪ひくの。 そいで、馬がいるの。馬ね、個人的にいるの。うちも2頭いたけどね。だから、ジャガイモ植えるときに昆布の腐ったのを運ぶ。昆布船が着いたら、砂浜だから重いっしょ。それを馬に引っ張らして、こっちこっち置いて、そして干してとか。
初めに渡ったのは伯父
―島に最初に渡ったのはお父さん? そう。うちのね、父の兄。兄がね、最初に渡ってて、そして、うちの父がね、6番目の一番下なんだって。そして、6つのとき、母を亡くしてるからね、「来ないか」って呼ばれて、そして、父だけが行ってて。そして、後から母が18(歳)のときに択捉に行ったんだって。そのときは択捉に上がって間もなく風土病、あれにかかってね、明日死ぬかな、明後日死ぬかなってね。(でも)春になったら、もう食べるものいっぱいあるしょう。山に、川、それこそそれを食べたらね、めっきめき18歳だから、よくなってね、84歳まで生きて死んだ。 だから、食べるものいっぱいあるの、野にも。ボクサあり、ヨモギ、それから、コジャクってもね、アザミ、あれ全部、島では食べるよ。 あのボクサなんかもね、すごく、こんな長くなるね。あれをね、お漬物にするのね、春に。だから、ネギなんて植えないし、買わないわ。カマスギ入れてね、春と秋となるの。だから、カマスギね、このぐらいだったっけかな、カマスギ入れて、室に入れとく。 そうした生活したからね、島ではお店に行ってない。入里節には4軒お店あったけどね、買うものない。買いに行ったって、全部うちにあるんだもん。定期便でね、昆布を問屋さんに送るでしょ。問屋さんから、こっちのほしいもの注文するしょ。だから、問屋さんから来る。問屋さんから来るから、全部ね、梅酒でも樽に、ショウガでも樽に入ってくる。お菓子でも、飴でも、リンゴでも、ミカンでも、みんな、ガンガンやら、それこそ、カント豆なんて、こんなでっかい袋に2個も来たよ、あんた。だから、何ていうの、お金、全然興味なかった、子供のころ。お小遣いなんて何だべだ。興味ない。お正月にね、もらって巾着に入れたって、お店行ったって、同じものしか売ってないから、ね。今考えたらね、何にもないとこ。まあ、時代が違うから、そうやって暮らしてきたよ。