「地元ばあちゃんも口をあんぐり ツクシを食べるのに必要なこと」稲垣えみ子
元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。 【写真】東京でも見つけやすい「山菜」のフキはこちら * * * 前回、友人の誘いで長野の山菜採り体験をさせて頂き、その圧倒的な「生えっぷり」に驚いたことを書いたが、個人的に一番狂喜したのはツクシの豊富さである。何しろムーミンに出てくるニョロニョロの如く、もうそこらじゅうにみっしり生えまくっているんですよ。ツクシ好きとしてはむろん歓声を上げせっせと採取したのだが、ふと気づけば地元のばあちゃんが口をあんぐり開けてこちらを見ておられまして。そんなのここらの人は誰も採らないヨと言うのだ。えー美味しいのに! と構わず手当たり次第採りまくり、ホクホクと宿泊先の台所付き古民家に戻ってすぐ、私はばあちゃんの真意を理解した。 ツクシを食べるには、細く柔らかい茎にピッタリミッシリ張り付いたハカマを一本ずつ取るという絶妙にイライラする作業が欠かせない。とうてい1人ではできず、結局同行の皆様が総出で「茎が折れた!」などと叫びながら少なからぬ時間をかけようやく作業終了。これでは他の山菜の処理時間が削られる一方である。全くもって申し訳なし。
ちなみに山菜は野菜とは違い、冷蔵庫に入れれば持つというようなものではない。すぐ食べるか保存処理を施さねば劣化してしまうのだ。なので山菜採りは楽しいばかりではない。からみついた土や枯れ葉をとるのはどれも微妙に大変な作業で、普通に野菜を買って食べた方がラクという人が増えるのも無理からぬことである。私だってこうして仲間とワイワイやってるからイライラも楽しさに変わるが、1人で黙々とやらなきゃならんとなれば確かに絶望だよ……と考えていて、私はハッとした。 自然の恵みに身を浸して生きるには、仲間の存在が不可欠なのだ。採ることも調理することも食べることも、仲間がいてこそ回っていく世界なのだ。山菜を採って暮らす人が減ったことと、我らの食卓が孤立化したことは深く繋がっている。で、もしそうならば、自然に沿った生活を学ぶことは、仲間作りを学ぶってことなんじゃないか? 稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。著書に『アフロ記者』『一人飲みで生きていく』『老後とピアノ』など。最新刊は『家事か地獄か』(マガジンハウス) ※AERA 2024年5月27日号
稲垣えみ子