棋士コンビでM-1に出場して…「だからこそ将棋の成績を残さないといけない」という思いを強めたワケ
「もぐら兄弟」として、M-1への出場のきっかけ
――話すことが好きということで、関連してM-1への出場についてお聞きします。そもそも、なぜ服部六段と「もぐら兄弟」のコンビを組まれたのでしょうか。 冨田 最初は2年ほど前に西遊棋(関西の若手棋士が構成するユニット。関東のそれに「東竜門」がある)のイベントで、私と徳田君が対局し、負けたほうが服部君と組んで、その日の最終演目として漫才をするというのがありました。そのネタ自体は本職の芸人さんが作ってくれたものです。将棋ファンは暖かい方が多いので笑っていただき、拍手もくれました。鳥肌が立つほどうれしかったのを覚えています。お笑いっていいものだと思いました。 ただその後に服部君と活動するということはありませんでした。転機となったのは昨年で、長谷川さん(優貴女流二段)の結婚式があり、その余興で漫才を頼まれたんです。それから何度か漫才をやって、じゃあM-1にも出るか、という流れです。 ――もともと、お笑いはお好きだったのでしょうか。 冨田 関西で生まれ育ったこともあり、子供のころからM-1や吉本新喜劇も見ていました。芸人の方ではかまいたちさんが好きです。M-1はアマチュアでも出られるので、人生で一度くらいは出てみたいなと思っていました。お笑いは芸人さんがファンの方を笑わせることで皆が幸せになる、そういうのが良いと思いましたね。 ――もぐら兄弟と同時期に、関東では「銀沙飛燕」(山本博志五段と谷合廣紀四段の漫才コンビで、やはりM-1へ挑戦)が登場しました。 冨田 衝撃でしたね。銀沙飛燕が先だったら、自分たちがM-1へ出ていたかは微妙だったと思います。
今後の「二刀流」の活動は?
――これからのもぐら兄弟の活動はいかがでしょうか。 冨田 もう一度M-1へ挑戦するということはないと思います。将棋のイベントで求められたら多少は、でしょうか。将棋ファンへ向けるネタと、M-1のためのネタでは違いもありますし、外部に向けてというのは少なくなりそうです。一つ宣伝をしますと、もぐら兄弟のTシャツを販売中なので、それを着てイベントなどに来ていただければと。 ――いわゆる「二刀流」の活動について、いかがでしたか。 冨田 棋士は将棋をやってなんぼだと思う人もいるはずで、だからこそ将棋の成績を残さないといけないという思いがより強くなりました。服部君が順位戦を先に上がっていったことで刺激になった面もあります。 自分は三段で一度退会した身と思っており、また将棋界における役割として、いい棋譜や人を感動させる将棋を沢山残せる立場とは思っていません。色々なことにチャレンジして、将棋をより多くの人に知ってもらえればと思います。一回しかない人生なので、大学へ行ったこともつながりますが、将棋以外のいろいろな人とかかわりを持って、多くのことにチャレンジするのが自分の人生の幸せだなと。それで将棋も勝てたら、カッコいいじゃないですか。 写真=石川啓次/文藝春秋
相崎 修司