【伝説の8番】大鵬の現役引退 貴ノ花との土俵際の攻防で尻もちついて黒星「5日目は鬼門なんだ」…1971年夏場所(中)
1971年5月場所5日目、昭和の大横綱・大鵬と「角界のプリンス」小結・貴ノ花の、注目の結びの一番。立ち合い、ぶつかったあと、貴ノ花が引いたところを、大鵬が押し込む。貴ノ花は土俵際でこらえて、逆襲。深く右上手を取って出ていく。大鵬は左のすくい投げ。貴ノ花は右外掛けで必死にこらえる。土俵際で貴ノ花の上手投げと、大鵬のすくい投げの打ち合い。一瞬、動きが止まったように見えた。その直後、コマとコマがぶつかったように両者がはじけたように飛び、軍配は貴ノ花に上がった。大鵬は尻もちをついていた。 初日に栃富士に敗れた時に続いての尻もち。大横綱の予想外の負け方に、館内のファンからは「大丈夫なのだろうか」「どうしたのだろうか」と、心配する声が交錯した。そんな中、大鵬は口を開いた。「俺にとってここ数場所の5日目は鬼門なんだ」直近5場所で1勝4敗。その1勝も、この年の1月場所、大苦戦の末、貴ノ花からやっともぎ取った星だった。「うまく右からいなされた。それにしても右の外掛けは効いた。ワシとしては右ではさみつけて、いっぺんに出ようと思っていたんだが…」。話している間に大きなため息をついた。 本紙評論家の玉の海梅吉さんは「私の脳裏をかすめたものは『ああこれが“時代の流れ”というものか』だった。大鵬ほどの偉大な横綱にもどうしようもない時の流れが押し寄せていたといえよう。大鵬にとって心理的打撃は大きかったに違いない。終始攻められて後ろにコケた。下半身の“老化現象”をはっきり見せた。初日の栃富士戦しかり」と評した。 本紙でも、これまで度重なる“引退”の危機をことごとく“不死身”とも思える精神力ではねのけてきた大鵬。それがまわりに反発するまでもなく、人前で大きくついたため息は、言葉にこそ出さなかったが「ワシはもう精も根も尽きた…」とでも訴えているようなニュアンスさえ受けた―、と書いている。そして、大相撲の歴史に残る71年5月14日を迎えた。(久浦 真一)=つづく= ◇大鵬 幸喜(たいほう・こうき)本名・納谷幸喜。1940年5月29日、サハリン(旧樺太)でウクライナ人の父と日本人の母の間に生まれ、終戦とともに北海道へ。56年9月場所初土俵。60年1月場所、新入幕。61年秋場所後に第48代横綱に昇進。71年5月場所で引退。優勝32回。通算成績は872勝182敗136休。引退後は一代年寄「大鵬」として部屋を興し、関脇・巨砲らを育てた。2013年1月19日、72歳で死去。現役時代は187センチ、153キロ。
報知新聞社