「今日のキャッシュより、明日の夢です」年俸1億円超え→任意引退を選んだ野茂英雄26歳のメジャー挑戦 近鉄同僚投手は「絶対やってくれると思っていた」
今から29年前の1995年6月2日、メジャー初勝利を挙げた野茂英雄。古巣・近鉄の投手たちは前例なき挑戦をどのように見ていたのか。前回に引き続き、1995年1月の「渡米前夜」を近鉄担当の記者が振り返る。(第6回/初回から読む、前回はこちら) 【貴重写真】「カッコいいスーツ姿…」野茂英雄22歳の婚約会見、レアな入浴シーン、時代を感じる空港ショットまで近鉄時代の秘蔵カットを見る
会見前日に阪神・淡路大震災が発生
事態は不透明な中で、野茂と団野村は1月18日にそろって東京都内で会見を行った。 神戸市内を中心に、阪神地域に未曽有の大被害をもたらした阪神・淡路大震災は、その前日の17日に発生していた。当時、神戸市内に住んでいた野茂は「連絡が取れていない。自分のところも心配ですが、周りの方が心配です」と明かし、会見の最後に「被害状況が分かる方、いらっしゃらないですか?」と呼び掛けている。 私は、当時も今も神戸在住で、生まれも育ちも神戸だ。ただ、震災当日の17日は野茂関連の取材で東京にいた。両親と住んでいた実家は幸いにもほとんど被害がなかったが、野茂と同じく、電話連絡は取れなくなっていた。 会社からの指示で野茂関連の取材を急きょ切り上げ、私が神戸に戻ったのは同21日。電車も高速道路も不通で、最も神戸に近いところまで通っていた阪急電車でも、西宮市の「西宮北口駅」までしか行けなかった。 そこから神戸市内の自宅まで、およそ4時間かけて歩いて帰った。その途中に野茂が住んでいたマンションも、はっきりと見えた。ちなみにそのマンションは、あれから29年が過ぎた今も、当時のたたずまいと全く変わっていないことを付記しておきたい。
長期的な視点での球団選び
本題に戻そう。団野村は会見で、今後への“明るい展望”を強調した。 「契約は難しいことではない。28球団(=当時のメジャー球団数)が対象。どこが一番いいのか。将来を決める重要なこと。その辺の買い物に行くんじゃありません。積極的にアタックしていきます。彼のキャリアは長い。今日のキャッシュより、明日の夢です」 「野球界発展のため。それを狙っています。夢を売る商売ですから、発展という言葉をテーマにしてやっていきたい」 野茂、メジャー全球団OK、どこだって行く――。 そうやって書きながら、どこかぼんやりと、ふわっとした感じが否めなかった。とにかく日本人選手がメジャーに行くという、その「前例」がないのだ。
【関連記事】
- <つづきを読む>野茂英雄のドジャース「トルネード旋風」を近鉄の同僚投手はどう見た?「自分は絶対通用せえへん」野茂に次ぐ“エース”がメジャーを目指さなかったワケ
- <初回>野茂英雄が監督と“衝突”「300球投げなアカン」「またそんな話ですか?」メジャー挑戦の1年前“近鉄で起きていた事件”「露骨にイヤな顔を…」
- 【前回】野茂英雄は「もう日本に戻れない」メジャー挑戦表明に日本球界から悲観論「親心から言えば危険な賭け」 代理人すら問題視された“野茂フィーバー前史”
- 【MLBでの事件】ドジャース同僚がキャッチボールすら拒否、完全無視…野茂英雄がメジャー1年目に経験した、MLBストライキの余波「スト破り選手の1軍昇格事件」
- 【写真】「近鉄はここまでするのか…」野茂英雄への仕打ち「近鉄球団旗を外します」、異例すぎるメジャー挑戦表明会見の様子