“北海道で一番小さい村”に移住して牧場とジェラート店を経営「目指すはニセコ」【名徳知記】
酪農家になってよかった
音威子府村で事業継承のプログラムに採択された名徳は、村認定の研修員となった。給与の4分の1を牧場主から、4分の3を村から受け取り、周囲の酪農家のもとを訪ねて、酪農のノウハウを一から学んだ。 近年、地域おこし協力隊などの形式で都会から人を受け入れる地域も増えているが、しばしば問題になるのは、地元の人との人間関係だ。音威子府村は、北海道で最も人口が少ない町。濃密な人間関係の中で、悩むことはなかったのだろうか。 「昔から鉄道の要所として栄え、村内外の人が行きかう街だった音威子府村の人たちは、外の人を受け入れてくれる村民性があるんです。僕も温かく迎え入れてもらいました」 農協理事の所有する家を月に1万円という格安の家賃で貸してもらい、隣人が毎日、ブルドーザーで除雪してくれた。近所の人の家で採れた野菜や果物をおすそ分けしてもらうこともしばしばあった。「困っていることはないか?」と村長が家を訪ねてきて、研修中の灯油代の負担を減らすべく、条例を変えてくれたこともあった。 村の人々に面倒を見てもらいながら、事業継承のための準備を進め、2017年4月に名徳牧場が生まれた。 最初の投資額は大きいものの、比較的アップダウンの少ない事業である酪農。生産した生乳はすべてホクレン(北海道の農業協同組合連合会)が買い取る仕組みのため、赤字で生活が立ち行かないという場面は、今日まで訪れていない。 そうはいっても、見知らぬ土地での新規就農。「大変なこともあったのではないか」と尋ねたが、名徳はこともなげにこう答えた。 「何にしても、自分で事業をやるのは大変だと覚悟していたので、そんなに苦労は感じていません。 たまに悩むことがあっても、朝焼けに照らされながらピンと冷たい空気の中で牛たちが鼻から湯気を出して草を食べている姿を見ると、『酪農家になってよかったな』って思うんです」 最大のピンチは就業2年目の冬、雪の重みで倉庫が半壊した時だった。中には高額な酪農のための道具が多数納まっていた。 このまま潰れてしまっては、莫大な損害額が出てしまう。慌てて農協に電話を掛けると、10人もの職員がすぐさま助けに来てくれた。ピンチの時にも名徳のそばには、いつも村の人と牛たちがいた。