“北海道で一番小さい村”に移住して牧場とジェラート店を経営「目指すはニセコ」【名徳知記】
北海道大学を志望する中学生
大阪出身、都会っ子の名徳は、なぜ「北海道最後のフロンティア」とも呼ばれる道北地域にある音威子府村で、酪農を始めたのか。 そのきっかけは、中学校2年生の時の家族での北海道旅行にあった。道北・道東を巡る旅で、名徳少年は北海道の自然に圧倒された。 どこまでも続くまっすぐな道。見渡す限りの緑。雄大な自然に感動した名徳は、「いつか絶対に、北海道に住む」と決意を固めた。 決意したら、行動あるのみ。名徳は、最短で北海道に移住する道を探り出す。すると、「北海道大学」という学校があることに気づいた。「北海道に住みたい」、その憧れだけで中学生のころから北海道大学を志望し始めた。 1年間の浪人生活を経て、北海道大学水産学部に入学。夢にまで見た北海道の生活が始まった。大学時代は、海での実習に明け暮れた。時にはイカ釣り漁船に乗り、ある時は底びき網を引いた。大きな船に乗り、マグロ釣りの実習に出たこともある。 実習前には教授から、口酸っぱく「絶対に海に落ちるな」と注意を受けた。救命胴衣を着けていたとしても、一度海に落ちてしまうと救助が難しい。 命がけの現場を目の当たりにした名徳は、「僕は命を懸けてまで、漁業をする覚悟がない」と、陸地での仕事に就きたいと思うようになった。 大学4年生になるタイミングで、「丘の仕事」が学べる農学部で卒業論文を書きたいと教授に直訴。大学院で農業経済学を学ぶことを条件に了承を得た。
「牧場主になりたい」と言うも門前払い
舞台を北海道の陸地に移した名徳は、大学院時代からどんな仕事をするべきか思案し始める。 酪農をすると心に決めたのも、大学時代の北海道一周旅行がきっかけだった。長い夏休みを使って、名徳は車中泊をしながら北海道をぐるりと巡った。 広大な敷地で牛たちが放牧されている景色をところどころで目にする。青い空の下、緑の牧草の上をのんびり歩く牛たち。「これぞ北海道」という景色に目を奪われた名徳は、酪農家として牧場を持ちたいと思った。 そうと決めた名徳は、事業を譲りたい牧場主と事業を継承し新規で酪農家になりたい人をマッチングさせるサービスにまだ学生でありながら登録。 農業経済学を学んでいるとはいえ、酪農のノウハウはなく、さらには学生で資金もない名徳に、牧場を継承したいという人はそう簡単に現れるわけもなかった。「勉強してから来てほしい」と門前払いをされることもしばしば。 そんなある日、たまたま名徳は音威子府村を訪れた。村に足を踏み入れると、予想外に、村長や地元農協の理事、音威子府村の議員が揃って名徳を温かく迎え入れた。 「『お金も技術も何も持っていないけれど、牧場主になりたいです』と音威子府の皆さんに思いを伝えたら、『27年ぶりに牧場主を探している。全部面倒見るから、音威子府においで』と言ってくださったんです」