「軍事オタクの左翼」石破茂は「クールジャパン」を達成できるのか
「オタク=殺人者」からの脱却
同僚が石破を何と呼ぼうと、彼を単なるオタク扱いにするのは単純化が過ぎるというものだろう。たしかに変人だが、オタクとかファンボーイではない。頼まれたからコスプレしたまでという彼の物言いは、リオ五輪の閉会式でマリオに扮した安倍首相(当時)を想起させる。そして石破自身が好きなもの、すなわちアイドル歌手、プラモデル、『宇宙戦艦ヤマト』は、1970年代に青春時代を送った世代なら誰しもピンとくるものばかりなのだ。 だが、石破がそういった事柄について堂々と発言しているという事実は、ここ数十年でいかに風向きが変わったかを示している。石破が青年だった当時の権力者は漫画やアニメ(のちにビデオゲーム)を、抑え込むべき悪徳とみなしていたのだ。多岐にわたる機関や団体が、こうしたメディアは反社会的行動を引き起こすと主張し、大々的に抗議した。 1980年代には、恐ろしい犯罪(1988~89年に起きた連続幼女誘拐殺人事件)がモラルパニックを引き起こし、一般市民は「オタク=殺人者」と受けとめた。「オタク」はあまりにもセンセーショナルな用語となり、そのためNHKは2000年代に入るまで、この言葉をそのまま放送電波に流すことさえ認めなかった。 当局が規制に躍起となっているときでさえ、漫画やアニメは消費され続け、しかもそれは膨大な量にのぼった。『ドラゴンボール』や『ジョジョの奇妙な冒険』などのヒット作を飛ばした「週刊少年ジャンプ」は、1990年代半ばの最盛期には毎週650万部が発行された。 バブル崩壊後の日本が脱工業化社会へ移行するにつれ、興隆するポップカルチャー産業とそのファン層が政治家からも注目されるようになるのはほぼ必然的な流れだったし、何を隠そう若手政治家自身が間違いなく当局の規制対象品の消費者だった。 ジャーナリストのダグラス・マクグレイが2002年に専門誌「フォーリン・ポリシー」に発表した論文「 世界を闊歩する日本のカッコよさ」(邦訳は雑誌「中央公論」第118巻第5号、2003)は、日本の若い政治家に公の場で文字通りカッコよく、「我が国はポップカルチャー大国で、それにふさわしく行動すべき」といかにも体裁の良い口実を与えた。そして、彼らはそれを実際に行動で示した。 石破は国会議員で最多のプラモデルコレクションの持ち主かもしれないが、オタクの感性に訴えた日本初の首相ではない。それは2008年半ば~2009年半ばまでの1年弱、日本国首相を務めた麻生太郎だ。彼は2000年代初頭の外相時代に、日本のソフトパワーを政策の柱に位置づけた。 彼はゴシックファンタジー漫画の『ローゼンメイデン』シリーズを読んでいると公言したり、いまも続く国際漫画賞を立ち上げたり、果ては熱に浮かされたように、ロシアのドミトリー・メドベージェフ大統領(当時)に、日露合作の映画版「ドラえもん」に投資するよう持ちかけたりもした。麻生のこうした日本漫画とアニメの宣伝活動には、感心しない向きもいた。アニメ監督の宮崎駿は麻生が漫画を読むと公言したことについて、「恥ずかしいと思う。それはこっそりやればいいこと」と批判した。 だがどのみち、ポップカルチャーの広がりに関していえば、まったくといっていいほど、ときの首相の嗜好や政策の影響を受けないのかもしれない。ポップカルチャーはポピュリズム的かつ草の根運動的であり、官僚のようなそもそもクールでもなんでもない連中によって法的なお墨付きを得、利用されるものの対極にある。 麻生の首相在任から数年後の2015年、メディア学者の岩渕功一教授は、日本政府による公的なプロモーション活動を酷評する論文を発表した。彼は、「国際的な文化交流と対話の促進が強調されているにもかかわらず」、日本政府による公的プロモーション活動は「日本文化の一方的投影」に過ぎず、「国境を越えた対話に真剣に取り組んでいない」と切り捨てている。