津田梅子、下田歌子、安井てつが開いた日本の「女子教育」...明治から現在で、どこまで進んだか
<津田梅子、下田歌子、安井てつの3人が草分けとなった日本における女子教育だが、現在でも日本の状況は諸外国に後れを取っている>【木村正人(国際ジャーナリスト)】
[ロンドン発]英ケンブリッジ大学の女子教員養成校(現ヒューズ・ホール)の校長を務めたエリザベス・フィリップス・ヒュース(1851~1925年)は日本女子教育の発展に努めた1人。新しい5000円札の顔になる津田梅子、下田歌子、安井てつはヒューズ・ホールと縁がある。 【図表】世界の移住したい国人気ランキング、日本は2位、1位は? 津田梅子は津田塾大学、下田歌子は実践女子学園、安井てつは東京女子大学を開いた日本女子教育の草分け。そのヒューズ・ホールで7月29日、ローリー・ブリストウ校長と実践女子学園の木島葉子理事長の間で交流協定が交わされた。下田歌子の視察から実に約130年だ。 調印式はユニバーシティー・カレッジ・ロンドン(UCL)眼科研究所の大沼信一教授を中心に2015年に始まった毎年恒例のジャパン・ユース・チャレンジの中で行われた。10周年の今年は7月27日~8月4日の日程で日英から実践女子学園を含む高校生計100人が参加した。 ■ビクトリア女王に謁見した下田歌子 木島理事長も実践女子大学の卒業生。男女雇用機会均等法が施行された1986年に外資系の生命保険会社に入社。「四大卒かつ浪人経験もある自分に就職試験を受けさせてくれる企業は数少なかった」と日経ウーマノミクスプロジェクトのインタビューに振り返っている。 木島理事長は「今年、実践女子大学は国際学部を立ち上げてグローバルと社会連携を軸にやっている。下田先生が100年以上前に訪れたご縁で交流協定が結ばれた。言葉や経済的な問題などハードルは高いものの、これから交換留学など具体的な内容を相談する」と意気込む。 下田歌子は明治天皇の皇女ご教育係の内命を受け、欧州8カ国と米国を視察した。英国ではバッキンガム宮殿でビクトリア女王に謁見。この時、日本古来の礼装「袿袴(けいこ)」を着用して女王や英国の上流社会に感銘を与えた。 ■「女性が社会を変える、世界を変える」 実践女子学園の建学の精神は「女性が社会を変える、世界を変える」。下田は米国の詩人、ウィリアム・ロス・ウォレス(1819~81年)の言葉を引いて「揺籃(ようらん)を揺るがすの手は、もってよく天下を動かすことをうべし」と学校設立の意義や自らの志を世に問うた。 「揺りかご」をゆらす手とは女性を指し、女性こそが天下を動かせるという意志が込められている。 しかし日本の現実は厳しい。女子の大学在学比率は学部の45.7%が大学院になると一気に32.8%に下がる。英高等教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーションの世界大学ランキング2024によると、女子学生の比率は京都大学で25%。ケンブリッジ大学は48%だ。 研究者に占める女性の割合は英国38.7%、米国34%、フランス28.3%、ドイツ28.1%、韓国21.4%に比べて日本は17.8%と格段に低い。女性研究者数は2013年の13万600人から22年には18万3300人に増えたものの、割合では14.6%から18.3%に改善しただけだ。 ■英国のアテナスワン憲章 東京大学多様性包摂共創センターの小川真理子特任准教授は論考「学術・科学技術分野における女性研究者支援政策の現状と課題」の中で「上位職階に上がると女性割合が減少すること、また女性が理工系を進路として選びにくい傾向が要因として考えられる」と指摘している。 津田梅子は米ブリンマー大学に2度目の留学をし、生物学を選考したリケジョ(理系女子)の先駆けである。後にノーベル生理学・医学賞を受賞するトーマス・ハント・モーガン教授の下でカエルの卵に関する研究に携わり、共同論文は日本人女性で初めて自然科学分野で英学術雑誌に掲載された。 英国では2005年、高等教育機関における女性のキャリアを促進するアテナスワン憲章が制定された。大沼教授は「英国の大学では憲章を推進することが求められ、評価が低いと政府の研究資金を申請できなくなるなど大きな問題になる。このため改善に努めなくてはならない」と語る。 日本でも高等教育機関におけるジェンダーの壁を打ち崩す不断の努力が求められている。