米抜き&飲酒禁止に「やってられない」 隠れてビール購入も…監督から「泡出せ」
米キャンプは部屋に冷蔵庫なし…氷の入ったバケツに隠したビール
もっとも「守備ばっかりなのは嫌でねぇ。サード側のファウルゾーンのところに倉庫があって、そこで休憩していたら、ハンドマイクで監督に『伊勢はどこに行った』って言われたこともありました。ピッチャーの連中が『伊勢さん、呼んでまっせ』と言いにきても『ええやろ、ほっとけ』なんて言ってね」。広岡監督からは強く叱られたこともなかったそうだが、なかなか扱いにくいベテランだったのではないだろうか。 「シーズン中、長野での試合が終わって、アサヒのロング缶を5本くらい買った。私の部屋の隣の隣が山下慶徳(外野手)で、その分も買っておいてやろうと思ってね。『おい、慶徳、ビール買って来たぞ』って言っていたら、隣の部屋が広岡さんだったんですよ。次の日、広島に移動。広島市民球場で私がフリーバッティングしていたら、広岡さんがケージの後ろに来て何かブツブツ言っているんですよ。何言っているのかなぁって思ったら『泡出せ、泡出せ』って」 話は続く。ヤクルト2年目(1978年)は米アリゾナ州ユマでキャンプが行われたが「豆乳がなくてスープが出て、そこにクラッカーを割って入れて溶かして、それが昼飯で夕方5時まで練習ですよ。飯類は何もなしでね。部屋ではこっそりビールを飲んでいましたけどね。部屋に冷蔵庫がないので、朝、氷をいっぱい入れたナイロン袋とビールとハムをゴミ箱みたいなバケツに入れて冷やしてシャワールームに隠していたんです」。 1977年の伊勢氏は代打を中心に58試合に出場し、打率.273、1本塁打、11打点。数字的には満足いくものではなかったが、管理野球と出会って、飲酒禁止などに抗いながらも、学ぶことがたくさんあったという。1978年の移籍2年目にはプロ入り初めてリーグ優勝と日本一を味わうこともできた。いろいろありながらも広岡ヤクルト時代は、伊勢氏の野球人生において間違いなく財産になっている。
山口真司 / Shinji Yamaguchi