お金は血、財布は拳銃!? 10冊の本で考える「マネーの正体」と上手な付き合い方
お金の「あるべき姿」を想像すること
贈与経済の可能性を模索する動きが高まる一方で、お金そのものを問い直しつづけることも必要だ。かつて、お金についてとことん考え、それを物語に託した作家がいた。『モモ』や『はてしない物語』の作者、ミヒャエル・エンデだ。 生前、エンデは自身の「お金観」をNHKの取材チームに語っていた。その貴重な内容を収めたのが、『エンデの遺言 ─根源からお金を問うこと』(河邑厚徳、グループ現代/著)だ。このなかでエンデは、お金の持つ「ずっと価値が変わらない」という特性を問題視する。 お金の価値は、基本的には腐ったりすり減ったりすることがない。だから、人々は将来の不安に備えて、お金を貯める。経年劣化しないから、持ちすぎることがないのだ。このことが、お金を循環しにくくし、経済の停滞を招き、格差の拡大を助長する。 エンデは、かつてドイツの実業家シルビオ・ゲゼルが考案した「エイジング・マネー」に可能性を見出していた。「歳をとるお金」だ。一定期間が経つと価値が減るように、お金を設計する。 例えば1932年にオーストリアのある町で発行された紙幣は、毎月1回、額面の1パーセントの値段のスタンプ(切手)を買って貼る仕組みをとり入れた。 同じ紙幣を3カ月間持っていたら、3パーセント分のスタンプを買わなければならず、その分「お金を持っているための代金」がかかる。こうなると、お金はできるだけ早く使ったほうがいい。結果、経済が活性化し、町から失業者の姿も消えたという。 エンデは、こう言っている。 「経済生活は本質的に社会連帯的なものなのです。(略)資本の自己増殖を許す金融構造が、友愛の理想を破壊してしまったのだと思います」 お金は、それだけで万能のパワーを持つものではない。なにかを象徴したり、なにかによって保証されたり、そして人と人とのあいだを繋くことでこそ、力を発揮するものだ。 秒刻みに価値が変動して人々を惑わせる数値としてではなく、社会から社会へと流れながら想いやつながりを可視化し代替するものとして、お金と向き合い直してみたい。
山本春奈