苦労人30歳ファンタジスタが初の海外挑戦 恩師のもとで新境地“開拓”なるか【コラム】
クラブのレジェンド青山敏弘が見せる背中「広島のすごいところ」
「アオさんはメチャクチャ頑張っていますし、そういう選手がいるのが広島のすごいところ。みんなで底上げできたらいいと思います」と野津田は自らに言い聞かせるように語っていた。それだけ広島愛が強いのだ。 けれども、試合に出たいという思いは募る一方だったに違いない。「やっぱり出たいし、それだけの自信がある」とも本人も語っていた。そのタイミングで手倉森監督から直々に誘いがあったのだから、断るという選択にはならないだろう。リオ五輪の時、野津田は18人に入れず、予備登録の一員ではあったが、指揮官は彼の傑出した攻撃センスを認めていたのだろう。それを再確認できたことも、心が動く大きなポイントになったはずだ。 パトゥムは23-24シーズンタイ1部で4位。今季はAFCチャンピオンズリーグには出場できないが、24-25シーズンはその領域を目指して8月から戦いをスタートさせることになる。野津田がこのタイミングで移籍すれば、プレシーズンからしっかりとチームや環境に適応できるし、タイ特有のリズムやサッカースタイルにも合わせられるはずだ。 タイ人選手はテクニカルな選手が多く、野津田のようなタイプは大いに歓迎されるだろう。そこで再び輝きを放つことができれば、本人も完全燃焼できるはず。広島では持てる能力を出し切ったとは言い切れない印象もあっただけに、30代での新たなチャレンジでブレイクを果たしてほしいものである。 野津田と同じリオ世代を見ると、久保裕也(シンシナティ)はアメリカでボランチとして新境地を開拓しているし、矢島慎也(清水エスパルス)のように複数クラブを経て今季赴いた新天地でJ1昇格請負人になろうとしている選手もいる。 もちろん欧州で活躍する遠藤航(リバプール)、南野拓実(ASモナコ)のようなトップ選手もいるが、それぞれに与えられた環境で自分のベストを尽くそうとしている。野津田もタイという未知なる国でこれまでとは違ったキャリアを形成できれば理想的。そうなることを切に願いたいものである。 [著者プロフィール] 元川悦子(もとかわ・えつこ)/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。
元川悦子 / Etsuko Motokawa