生きたまま、ヒトの意識をコンピュータに移す方法とは?
偏頭痛発作と下條先生
ここであえて右脳を登場させたのには理由がある。冒頭の二段落は、実はわたしの体験そのものなのだ。中学3年生のとき、模擬試験の英語の最中、みるみる文章が読めなくなった。あとになって知ったことだが、それは偏頭痛発作の一部であった。 みなさんのなかにも偏頭痛持ちの方がいるかもしれない。わたしの場合、虹色のギザギザ模様が右視野にあらわれるところから発作がはじまる。このオーラと呼ばれる現象は、19世紀の書物にも挿絵つきであらわれる由緒正しい症状だ。自分の脳はだいぶ可怪しいのではと心配したものだが、同様に、奇天烈な幻覚に悩まされた大昔の先輩たちに出会い、胸を撫で下ろした。そのオーラが収まったのち、しばらくして視野欠損がはじまり、15分ほどで右視野全体がきれいさっぱり消滅してしまう。 不思議に思うだろうが、消滅した視野を埋めるのは白でも黒でもない。まさに“無”である。頭の後ろが見えないのと同じようにそこには何もない。あたかも、分離脳患者の視覚世界を疑似体験しているかのごとく。 2003年、カリフォルニア工科大学の下條信輔先生のもとでサバティカル生活を送る幸運にめぐまれた。到着して間もなく、はじめて通された先生のオフィスで、自身の偏頭痛発作の話をしたことを今でも鮮明に覚えている。したためてきた実験アイディアが、氏にまったく響かなかったゆえの苦肉の策であった。ただ、わたしの視野消滅には俄然、興味が湧いたようだ。返す刀で、発作がでたら夜中でも連絡するようにと言われた。ラボご自慢の経頭蓋磁気刺激装置(TMS)にからめ、氏ならではの天才的なひらめきが訪れたのだろう。 TMSは、高校物理に登場するフレミングの右手やら左手の法則で、頭蓋の外から脳に電流を流してしまう恐るべき装置だ。渡米の数年前におとずれた学会で、「私はもう歳だから被験者兼著者になることを泣く泣く了承した」と悲壮感たっぷりに語る大先生の映像が流れ、それが強烈な印象として残っていた。当時、なにかと保守的な日本では、論文著者以外を被験者にすることがガイドラインで禁止されていたのだ。そんなこともあり、下條研に行ってもアレの被験者にだけはならないようにと心に誓っていたのだが、のっけから踏み絵を踏まされることとなった。 振り返ってみれば、視覚的な意識を生まないわたしの脳を肴に、意識のしくみに迫る実験を思い付いたに違いない。今のわたしなら、薬を盛られてでも偏頭痛発作を起こして協力するところだが、当時は意識の「い」の字も興味がなかった。 スモッグに霞むロスの淡い青空のもとで意識研究に出会い、はるか彼方まで見渡せる南ドイツの澄みきった青空のもとでおおいに頭を悩ませ、ある日、とある意識の研究手法に思い至った。その副産物として、わたしの提案する「意識のアップロード」があるわけだが、そのあたりの経緯についてはおいおい話していきたい。