日本人研究者が明かした…なんと、ハドロサウルス科どうしで「棲む環境を選んで」競争を避けた、という「驚きの事実」
アラスカを渡った日本の恐竜
それでは、アラスカに棲んでいた、ハドロサウルス亜科とランベオサウルス亜科は、日本に渡ってきたのだろうか? その疑問をかんがえるときに登場するのが、ニッポノサウルスとカムイサウルスである。 ニッポノサウルスとは、日本人によって、初めて発掘され、初めて研究され、そして初めて命名された恐竜だ。この恐竜は「日本初の恐竜」と呼ばれることもあるが、少し複雑である。それは、この恐竜が、1934年(昭和9年)に当時日本領だったサハリンから発見されたからだ。そのため、“サハリンの日本竜”という意味の名前(Nipponosaurus sachalinensis)がつけられた。 しかし戦後、サハリンはソ連の領土となってしまう。それ以来、“日本竜”が日本の恐竜ではなくなってしまった。 しかしながら、「初めて日本人によって発掘・研究・命名された恐竜」ということは、まぎれもない事実である。その日本人とは、北海道帝国大学(現在の北海道大学)の長尾巧教授である。
ニッポノサウルスの発見
1934年のある日、長尾教授は化石の販売業者だった根元要氏から連絡を受けた。豊原(現ユジノサハリンスク)の北西30キロにある川上炭鉱(現シネゴルスク)で行われていた病院の建設工事現場に露出する白亜紀後期の地層から、恐竜の化石らしいものが発見されたというのだ。 早速発掘が行われ、採集された標本は北海道帝国大学に寄贈され、すぐさまクリーニング作業が行われた。まれに見る恐竜全身骨格化石であったが、前肢がないことに気がついた長尾教授は、1937年に発掘を再開し、四肢骨の大部分を発見した。その結果、全身の6割という完成度の高い全身骨格であることが明らかになった。 1936年、長尾教授が北海道帝国大学紀要に論文を出版し、この恐竜を「ニッポノサウルス・サハリネンシスNipponosaurus sachalinensis」と命名し、ハドロサウルス科の中でもランベオサウルス亜科である可能性を指摘した。詳細な記載がされ、当時の古脊椎動物に関する論文としては、非常に質の高いものであったといえる。 そして、長尾教授の研究後、世界各地でこの恐竜の仲間であるハドロサウルス科の研究が進んでいく。世界中の研究者がニッポノサウルスに注目をしたが、頭骨の標本が不十分であり、成体ではなく幼体・亜成体である可能性が指摘され、この恐竜の有効性が議論となった。 しかし、長尾教授の論文出版から約70年後、当時北海道大学の大学院生だった鈴木大輔氏が、ニッポノサウルスの再研究を始めた。そして、2004年に北アメリカのランベオサウルスとの共通点や、ニッポノサウルスでならはの独自の特徴を指摘した、衝撃的な論文を出版したのだ。 ※次回は、鈴木大輔氏の論文で発表された発見を軸に、ニッポノサウルスについて掘り下げていきます。
小林 快次(北海道大学総合博物館教授)
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