「修行先は出さない」「取材もほとんどお断りしてきた」 東京屈指のラーメン店主が描く理想の円グラフ
■「石神本」掲載店を全制覇 この頃、書店で一冊の本を見つける。ラーメン評論家の石神秀幸さんが書いたラーメンガイドブック、通称「石神本」だ。東京にはこんなにいろんな種類のラーメンがあるのかと驚き、カバンにこの本を入れ、移動の度に食べ歩きを始めた。新宿区の大久保にあった「はやし家」で初めてつけ麺を食べ感動し、「東池袋大勝軒」「べんてん」など名店を食べ回り、結局本に載っている店は全店食べに行った。 叔母の勧めで、当時のスーパー戦隊「ガオレンジャー」の俳優オーディションを受けた。5次審査まで合格し、最終審査の10人に残ったが惜しくも受からず、扉は開かなかった。しかし、この時に芸能事務所の担当者が声をかけてくれて、事務所に入ることになった。ここからアルバイトをしながら役者のオーディションを受ける生活が始まった。その後、演劇をやりたいと文学座に入る。このお金のない時代にも自分を支えてくれたのはラーメンだった。 30歳になり、役者としての天井が見えてきた。同期に天才と呼ばれる役者がいて、どうやっても彼には勝てないと思った。自分としてはやりきったとここで区切りをつけることにした。 次の人生を考えた時にぱっと思い浮かんだのが「ラーメン」だった。いろいろなアルバイトを経験したが、自分が一番好きなのはラーメンだった。チェーン店でアルバイトをしながら、ラーメン職人の新人を発掘する「新人王グランプリ」に応募した。独学で作ったラーメンだったが、これが評価され、決勝に進出。最後は同点で2位になった。このまま頑張ればできるかもしれないと小さな自信をつけ、都内の名店に修行に入ることにした。 清湯、白湯、つけ麺などいろんなラーメンの技術を学びながら、独立に向けて資金を貯めた。人より何年も遅れているので、それを取り戻そうと人の何倍も頑張った。3年間、誰にも負けないぐらいラーメンにのめりこんだ。 こうして2016年、「麦苗」をオープンすることになる。物件を見つけて店を作ったが、実はギリギリまで味が決まっていなかった。 「自分の大切な人に胸を張って出せるラーメンにしたいと思い、試作を続けていました。安心安全なものを提供しようと、無化調(うま味調味料不使用)で自家製麺にすることに決めました。これまで無化調のラーメンを作ったこともなかったですし、自家製麺も初めてだったのでかなり苦戦しました」(深谷さん)