『シュリ』韓国スパイアクションの金字塔、今なお鮮烈な「分断」の問題
シリアスに描かれる「死」と「分断」
むろん、『シュリ』が韓国映画として屈指の人気と支持を得ることができたのは、そのエンターテインメント性だけではない。映画全編を貫く「死」の香りと「分断」の重み、それこそが韓国映画ならではの独創性であり、当時、観客の心をつかんだ大きな要因だった。 北朝鮮の女性工作員であるバンヒの背景を示すオープニングから、本作の激しい暴力描写・人体破壊描写は際立っている。激しい訓練と戦闘に身を投じるバンヒは、敵対する兵士の身体を何度も突き刺し、首を切る。韓国と北朝鮮の対立と、そこに存在する命の奪い合いが根底に流れる本作では、いくらストーリーテリングにハリウッド映画さながらの軽やかさがあっても、人物の「死」は軽いものとして扱われないのである。 そのことは、主人公のジュンウォンと相棒のジャンギルが属する韓国サイドだけでなく、作劇上は悪役である北朝鮮の工作員たちも同じだ。彼らの「死」は非常にむごたらしく、あるいはあっけないものとして表現される。しばしば韓国映画は強烈なゴア表現がひとつの特徴として挙げられるが、『シュリ』はその点でも先駆的だったと言えるかもしれない。もっとも、そこにはテーマとしての必然性があったのだが。 映画のクライマックスでは、ムヨン率いる北朝鮮工作員の真意が語られ、物語の全貌が明らかになる。そこで浮かび上がるのは、まぎれもなく朝鮮戦争や南北分断の重みと、それが人々に与える影響だ。「俺たちはあの政治屋を信じて50年も待った」と口にし、故郷の人々を想って戦争の再開を願うムヨンは、決してステレオタイプな悪役ではない。本作の公開当時、北朝鮮の工作員を血の通った人間として描くことは非常に画期的だった。 「南北映画」としての深みを与えたのは、『八月のクリスマス』(98)や『カル』(99)、近年は『悪の偶像』(19)などに出演するハン・ソッキュ、『パラサイト 半地下の家族』や『殺人の追憶』(03)などで韓国を代表する俳優となったソン・ガンホ、『オールド・ボーイ』(03)や『悪魔を見た』(10)の名優チェ・ミンシクらの演技だ。とりわけ、そう多くない出番とセリフで北朝鮮側の怒りと哀しみを体現したムヨン役のミンシクには舌を巻く。 ジェギュ監督は、長編デビュー作『銀杏のベッド』(96)の完成直後から『シュリ』の企画に着手していたものの、当時の韓国で「北朝鮮と韓国のスパイを描く」というコンセプトはリスクが高いとみなされ、なかなか出資を受けることができなかったという。しかしながら、本作が興行的に大きな成功を収めたことは本稿冒頭に記した通りだ。 のちにジェギュ監督は『ブラザーフッド』(04)で南北戦争を正面から描き、本作が企画のベースになったとされるドラマ「IRIS -アイリス-」(09)に携わった。『マイウェイ 12,000キロの真実』(11)で日本統治時代の朝鮮を、新作『ボストン1947』(23)で日本統治後から南北戦争開戦までを題材にしていることからも、「分断」はそのフィルモグラフィを貫く大きなテーマ。その原点が『シュリ』であることは言うまでもない。 北朝鮮の軍人と韓国の令嬢のラブストーリーであるドラマ「愛の不時着」(19~20)が世界的にヒットしたように、いまや南北分断を描くことは韓国エンターテインメントのタブーではなくなった。しかしその一方、このテーマを扱うことの重みが失われつつあることもまた事実だろう。 世界情勢がますます混沌とし、国家や民族同士の分断が深まりつづける現在、娯楽大作である『シュリ』の表層を突き破って現れるシリアスな本質は、観る者の心をより深く突き刺す。優れたエンターテインメントとして、切実な社会性・歴史性を刻み込んだ映画として、今後も繰り返し観られてゆくべき一本だ。 [参考文献] https://2023.tiff-jp.net/news/ja/?p=62706 https://www.scmp.com/lifestyle/entertainment/article/3002848/shiri-how-1999-south-korean-action-blockbuster-changed 文:稲垣貴俊 ライター/編集者。主に海外作品を中心に、映画評論・コラム・インタビューなどを幅広く執筆するほか、ウェブメディアの編集者としても活動。映画パンフレット・雑誌・書籍・ウェブ媒体などに寄稿多数。国内舞台作品のリサーチやコンサルティングも務める。 『シュリ デジタルリマスター』 9月13日(金)シネマート新宿 他全国ロードショー! 配給:ギャガ ©Samsung Entertainment
稲垣貴俊