「会社員をやめて留学」にリスクは全くない…ミレニアル世代の「競争力のあるキャリア」をつくる正しい意思決定法
今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『 世界標準の経営理論 』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。 キャリアや人生の岐路において、意思決定に迷ったら何をしたらいいでしょうか。入山先生は「人生の岐路においては、リスクをとったほうが後で後悔もせず、結果が出やすい。そしてリスクの取り方としては、なるべくほかの人がやっていないことに着目するといい」と解説します。 【音声版の試聴はこちら】(再生時間:29分00秒)※クリックすると音声が流れます
39歳はキャリアの曲がり角
こんにちは、入山章栄です。 この連載の担当編集者である小倉宏弥さんは、ミレニアル世代の編集者として世界中を旅しながら仕事を続けていますが、今回はそんな小倉さんから自分と同世代の人のキャリアプランについての質問です。 編集・小倉 : 経営学に出会ったのはこのタイミングだったのですね。 そうですね。僕は今51歳で、もうすぐ52歳です。僕の場合は2003年に30歳でアメリカに行き、そこから10年間アメリカに住み、40歳ぐらいで日本に帰ってきて、それ以来また日本に住んでいますが、40歳前後の自分に送るアドバイスということですよね。 編集・小倉 : はい、そうです。 なるほど……僕は例外的なのかもしれませんが、過去の自分へのアドバイスは何もないですね。もし何か言うとしたら、「お前、頑張ってるね、偉いよ! 日本に帰ったら面白いことがいっぱい待ってるよ」くらいかな。 なんか自画自賛かもしれないけれど、僕は当時の自分は本当に無我夢中で頑張ったと思っているから、何にも後悔していないんです。仮に生まれ変わっても、同じことをすると思いますよ。 編集・小倉 : 生き方として理想的ですね。 そうですね。でももちろん、今までの人生で一切迷いがなかったわけではないです。たぶん23~24歳くらいが一番モヤモヤして悩んでいましたね。慶應の大学院の修士課程にいた時ですね。 僕が慶應の経済学部を卒業したのは1996年です。ちょうど時代は就職氷河期に入るころだったけれど、僕の同級生たちはみんな就職したんです。その一方で僕はなんだか勉強が楽しくなってしまったもので、経済学をもっと勉強したいという理由で、就職活動を一切せず、慶應の大学院の修士課程に進学したんですよ。 でも今思うと、その時はたぶん大学院に行くことそのものが目的になってしまっていたんですね。いざ入学したら「俺は何をしたいんだろう」と、ものすごくモヤモヤして、勉強も研究も手が付かなくなってしまった。 こんなことを言うと怒られるかもしれないけれど、日本の大学院って、というか当時の慶應の修士の1年目って、あまりやることがなくて、そこそこ課題をこなしていればなんとかなったんです。 だから考える時間があったので、余計にモヤモヤしてましたね。当時交際していたガールフレンドはもう就職していたので、彼女と週末に会うのが唯一の楽しみという日々でした。 そんな状況が修士の2年目になると変わって、僕の恩師である慶應の木村福成先生と親しい、早稲田大学の浦田秀次郎先生という素晴らしい先生のお手伝いをする機会に恵まれました。僕から見ると当時の浦田先生は神様みたいなスーパースター経済学者。 しかも浦田先生は僕がちょっとデータ入力の作業をお手伝いしただけのものを「これ、共同論文にしよう」なんて言ってくれて、それだけでテンションが上がって充実感が出てきて、なんとか修士の2年目を気持ち的に乗り切りました。 とはいえ修士課程を終える頃には「もうこの気持ちでは博士課程には進めないな」と思ったんです。そこで幸い、拾ってくれた三菱総研に入社して5年働きました。 そして三菱総研で働いていると、やはり「アメリカに行って博士号を取りたいな」と思うようになった。ただ、その時には経済学専攻で留学するのは気持ちが乗り気でなかったのですが、たまたまその頃に「経営学」という学問に出会ったんですよね。 編集・小倉 : 経営学に出会ったのはこのタイミングだったのですね。 はい、そもそも経済学という学問は統計分析が必要で、僕もそれは大好きだった。ただ、経済学はいわゆる理論表記まで数学でやるのですが、僕はそれがあまりピンと来なかったのです。 それに対して世界の経営学は、統計分析をやる上に、理論表記が自然言語(=英語)だった。それがなんかしっくりきて、「これだ!」となって「経営学で博士号をとって経営学者になろう、そのためにはアメリカの大学院に行こう」と思いついたんです。 そこからは、まったく迷いがなかったですね。
入山章栄