「息子の誕生112日目に妻をがんで亡くし」清水健アナ シングル育児に奮闘も気づけば体重が20キロ減り…テレビ局からいったん去ると決めた
骨転移もあり、立つのも歩くのもしんどい状況だったのに、竹富島では息子を抱っこして笑顔で歩いてくれました。笑顔の写真が家にはたくさんあります。あのとき、妻が笑顔で過ごしてくれたことは、今の僕たちの大きな救いになっています。 ── 病状が進み、つらい決断をされた場面もあったのでは。 清水さん:決めたくなくても決めなくちゃいけない場面がたくさんありました。1月の終わりころ「もう抗がん剤は打てない」と診断され、2月初め、妻が初めて「しんどい」「痛い」という言葉を口にしました。痛みを取るには、医療用麻薬とステロイドを打つしかない。でも、投与すると意識がなくなってしまうこともあるかもしれないとの説明を受けました。「どうしますか、痛みを取ってあげますか」。僕が決断しなければいけない。妻にも聞けばよかったのかもしれないですが、隣で苦しそうにしている妻に僕は聞くことができなかった。
痛みを取ってあげる選択をしましたが、もしかしたら、妻は「まだまだ頑張れる」と思っていたかもしれないですよね。いまでも何が正解だったのかはわかりません。僕はこれからもこうやって「わからない」ということを言い続けていくんだと思います。でも、いつか、自分たちが選んだ道を正解にしていければと思っています。
■体重が20キロ減り、テレビ局を退社 ── 仕事と育児の両立はどのようにされていたのですか。 清水さん:番組には、妻が亡くなり2週間ほどで復帰させてもらいました。会社の理解はありがたく「無理はしなくていい」と話してくださっていました。ただ、自分のなかで「こうありたい」「こうしなければ」という思いが強かった。朝8時に出社して、午後4時47分からの番組に出演後は反省会、夜8時に帰宅するという生活でした。いま思うと「弱い自分を見せたくない」と自分で勝手に変な鎧をつけてしまい、僕なりのキャスター像が、逆に視聴者の皆様や仲間にも心配をかけてしまっていたように思います。