「息子の誕生112日目に妻をがんで亡くし」清水健アナ シングル育児に奮闘も気づけば体重が20キロ減り…テレビ局からいったん去ると決めた
── 強い方ですね。 清水さん:強かったのかな?不安だったと思うし、怖くもあったと思います。妻に強くいさせてしまっていたのは、僕なんですよね。妻は、心配かけちゃいけない、自分の病気が負担になってはいけない、とムリをして、強くいてくれたんだと思います。僕たち夫婦は、弱音をあえてお互いに言葉にはせず、病と向き合っていました。 いま思うと、妻の悩みや苦しみをもっと素直に出させてあげられるパートナーだったらよかったのかもしれない。お互いに「しんどいよね」「不安だよね」と言いあればよかったのかもしれない。どう病と向き合うべきだったのか、何が良かったのか、いまだにわからないことだらけです。もう本人に聞くことはできないので。僕自身は、その妻の強さ、優しさに甘えてしまっていたと思います。僕は妻に寄り添うことができていたんだろうか。僕は妻を支えることができていたんだろうか。妻がいなくなって9年が過ぎますが、一生答えは出ないんだろうなと思います。
■家族3人で竹富島へ初めての旅行 ── 赤ちゃんのお世話はどうされていたのですか。 清水さん:周りのサポートがなければできませんでした。僕の母や姉、妻の家族がサポートしてくれていたから、僕は仕事をすることができましたし、病室で妻と息子と3人の時間を過ごすことができました。 息子が生後2か月を迎えた年末年始に、3人で旅行に行くことができたんです。行き先は、僕が取材で訪れたことのある竹富島。「3人で旅行ができたらいいね」というのが、いつからか僕たちの目標になっていて、抗がん剤治療の副作用で高熱や口内炎が出て、直前まで体調はよくなかったのですが、「行きたいな」と言う妻の言葉に、主治医の先生が多くのアドバイスをしてくださり「行っておいで」と背中を押してくれました。
いま思うと、妻は旅行をしたかったというより、きっと、母親として「普通」のことがしたかったんだと思います。出発する空港でベビーカーを押している妻の写真があります。うれしそうな表情をしているし、母親として誇らしい表情もしている。出産後、1週間で転移がわかってしまって、妻がゆっくりベビーカーを押すことができたのはそのときが初めて。「ごめんね、まだまだ子育てできていないよね」と妻はいつも話していたので、3人で出かけることができたことが本当にうれしかったんだと思います。