サッカー元日本代表・松井大輔、週プレ独占激白! 現役引退発表後、初のロングインタビュー!!
■天才ドリブラーが考える第二の人生と展望 くしくも、今年は松井が縁を感じるというフランスでパリで五輪が開催される。セカンドキャリアを歩み始めた彼の中には日本サッカーのためのさまざまなアイデアがほとばしり、実現に向けてすでに動いているものもあるという。 「パリ五輪には通訳でもいいから、代表スタッフとしてぜひ連れていってほしいです。フランスの事情を知り、土地勘のある人間がいた方が何かとスムーズではないかと。 それに、僕が今後やりたいのはポジション別の、技術に特化したコーチです。野球であれば打撃コーチや守備走塁コーチ、アメフトならばQB(クオーターバック)コーチやLB(ラインバッカ―)コーチなどがいるわけじゃないですか。 だったら、サッカーもまたドリブルコーチやMFコーチなどがいてもいいのではないかと。山本(昌邦・JFAナショナルチームダイレクター)さんや反町(康治・JFA技術委員長)さんには進言しています。 ドリブル技術だったら、小学生の段階でいろんなバリエーションを教える。たとえば、いつも歩くときは右足から一歩踏み出すといった具合に、ドリブルも足のアウト部分で触れてから右に行くという子がいたとして、その癖が定着する前に、左右両足を使ったさまざまなドリブルを教え込む。引き出しをいくつも持った上で、その先は自分の感覚と経験で得意なドリブルを選べばいいというわけです。 僕は小さい頃から感覚的にドリブル技術を身につけてきましたが、フットサルの世界で理論的なドリブルがあることを知って学べたこともあり、両方を持ち合わせた方がより良いという結論に達したんです。 以前、対談させてもらった三苫 薫選手(英・ブライトン)も大学の卒業論文でドリブル研究をまとめて、それを今、世界最高峰のプレミアリーグで活かしている。素晴らしいですよね。 サッカーの裾野を広げて、アスリートと研究者、企業をつなげたり、開発に従事したり、スポーツ科学の分野をより発展させる手伝いをしていきたい。現役時代を忘れて夢中になれるものを作っていきたいですね」 スパイクは脱いだ。だが、マインドは早くも次に向いている。松井大輔に引退したことへの後悔や寂寥感はみじんも感じられなかった。これから先、どんな仕掛けを見せてくれるのか。フィールドの外でも意外性のあるアクションに期待したい。(文中敬称略) ●松井大輔(まつい・だいすけ) 1981年5月11日生まれ、京都府出身。鹿児島実業高校を卒業後、00年に京都へ入団、02年の天皇杯優勝に貢献。04年、仏2部(当時)のル・マンに移籍。その後、仏1部の計4クラブで148試合17点を記録。以後、欧州各国でプレー。日本代表としては04年のアテネ五輪で10番を背負う。A代表では10年のW杯南ア大会に出場、16強入りに貢献。通算31戦1得点。 構成・文/高橋史門 撮影/山上徳幸 写真/アフロ