サッカー元日本代表・松井大輔、週プレ独占激白! 現役引退発表後、初のロングインタビュー!!
■すさまじい圧を感じた忘れられないDF 一方で、自身のベストゴールについては2本あるという。 1本は横浜FC在籍時代。19年7月27日のJ2第24節、アウェーのジェフユナイテッド千葉戦。DF北爪健吾がロングスローをペナルティーエリア中央へ。ニアサイドの競り合いでワンバウンドしたボールを決めた逆転弾だ。38歳にしてなおも技術の高さを示した会心の一撃だった。 「あのオーバーヘッドは、やっぱり忘れられないですね。スーパーゴールというのは、自分が所属するクラブで輝いた"証し"だと思うんです。ましてや、それが自分にとって思い入れの深いクラブであればなおさらです」 そして、もう1本は松井が第二の故郷と言い切るル・マンでの超人的なシュート。04年に移籍、1部昇格へ導いた立役者として"ル・マンの太陽"と称されるまでになった彼は07年8月26日、アウェーのモナコ戦でヒールボレーを決めた。フランスのリーグ・アンだけでも通算148試合・17ゴールを記録している。 「ル・マン時代(04~08年)は、怖いものなしでしたね。最低でも一人は必ずドリブルで抜く。誰でも来いという感じ。絶対に抜けるという自信もあったし。サッカーをしていて、すごく楽しかった。 今回、引退を表明した際、フランスのメディアでも取り上げていただいて、フランスのファンからもメッセージをたくさんいただいたのは本当にうれしかったですね。特にル・マンの黄金期を支えることができたのは本当に光栄なことだし、そういう歴史を地元の皆はちゃんと覚えていてくれるんですよ。 振り返れば、中3で初めて海外へサッカー留学をした先がパリ・サンジェルマン、02年トゥーロン国際大会では3位入賞とベストエレガントプレーヤー賞、03年のコンフェデレーションズ杯でA代表デビューと、いずれもフランスでのことなんですよ。やはり縁を感じずにはいられないです」 対峙した相手で忘れられないプレーヤーもいるという。 「マツさん(松田直樹)ですね。絶対に抜かせないという圧がすさまじかった。それに、ボールが奪える自分の間合いに持ち込むのがうまかったです。グッと前に出て詰めたり、自分のゾーンにおびき寄せたり。 僕なんか当時18歳の生意気な小僧だったんで、試合そっちのけでわざとマツさんに1対1を仕掛けていって。絶対に抜かしたるっていう。ずいぶん成長させてもらいました。その後、五輪やW杯、世界の各地でいろんなDFと対峙したけど、マツさんは特別な選手でしたね」