1960年代を謳歌した名車 20選 半世紀経っても忘れられないクルマたち
MG MGB(1962年)
MGは当時、1955年から1962年まで10万台以上の販売台数を記録した人気モデルMGAの後継を探していた。MGBはまさに適任で、18年にわたって生産され、当時世界で最も売れたスポーツカーとなった。新車時の価格は約950ポンド(現在の約520万円)で、多くが英国から海外に輸出された。 MGBは英国文化によく馴染み、1965年にGTが登場したことでさらなる盛り上がりを見せた。
トライアンフ・スピットファイア4(1962年)
スピットファイアは開発段階で「ボム(Bomb)」というニックネームで呼ばれていた。トライアンフの開発チームは、非常に小さなトランクと貧弱なウェザープロテクションを持つヒーレー・スプライトよりも良いものを作れると考えていた。 プロジェクト・ボムは、トライアンフ・ヘラルドのバックボーン・シャシーと駆動系を流用した。しかし、1956年のスエズ危機の影響で英国の自動車販売が低迷し、トライアンフは財政難に陥っていたため、プロジェクト・ボムは未完成のまま工場に放置された。 その後、トライアンフがレイランドに買収され、工場を訪れた幹部はこのプロジェクトに大きな関心を示した。開発作業は再開し、ニックネームは廃止され、スピットファイアという正式名称が与えられた。こうして唸るような排気音を持つスポーツカーが誕生した。
シボレー・コルベットC2(1963年)
ジャガーEタイプが発表されたとき、その大胆なスタイリングは英国を震撼させた。シボレーがC2コルベットを発表したとき、同じことが米国でも起こった。速さとスタイリングの両面で新しい領域に踏み込んでおり、あまりの人気の高さから工場は2交代制へと移行したが、それでも需要に追いつけなかった。
ポンティアックGTO(1963年)
1963年9月に生産開始し、初年度の販売予測は5000台だったが、結果は3万2450台だった。GTOはポンティアック・ルマン向けのオプションパッケージとして用意され、エンジン強化により最高出力325psを発生する。さまざまなコンポーネントや「GTO」バッジが装着され、ボディとしてはクーペ、コンバーチブル、ハードトップがあった。 1960年代のGTOはとにかくクールで、ステアリングが鈍くブレーキにも疑問が残るものの、ひねりが効いていた。1965年型のテンペストは、1/4マイルを15秒以下で走破した。