1960年代を謳歌した名車 20選 半世紀経っても忘れられないクルマたち
ジャガーEタイプ(1961年)
Eタイプは最高時速240km/hのスピードと大胆なスタイリングで、富裕層や有名人の間で大ヒットとなった。エンツォ・フェラーリが「史上最も美しいクルマ」と称したという噂もある。 発売当時、Eタイプ・ロードスターの価格は約2097ポンド(現在の約1200万円)、クーペの価格は約2196ポンド(現在の約1245万円)だった。合計で3つのEタイプシリーズが作られ、1974年に生産終了した。
ACコブラ(1962年)
キャロル・シェルビー氏(元飛行教官、経験豊富なレーシングドライバー、養鶏農家)はレースでのキャリアを謳歌していたが、心臓疾患が発覚する。レースの前には毎回、ニトログリセリンの錠剤を飲まなければならなくなった。結局、彼はレースを断念した。サーキットを荒らすのをやめた理由は病状だけではなく、自分でクルマを作るという夢もあった。 英国の自動車メーカー、ACカーズは当時エース(ACE)というスポーツカーを生産していた。バランスの取れたクルマだが、アメリカ的な力強さに欠けていた。ACカーズと手を組んだシェルビー氏は、エース向けにV8エンジンの提供をシボレーに依頼したが、断られてしまう。その後、フォードに相談したところV8を融通してもらえることになり、コブラの誕生につながった。
ロータス・エラン(1962年)
ロータス・エリートは商業的には大成功を収められず、創業者コリン・チャップマン氏はさらに組み立てが簡単で壊れにくいロードカーを模索していた。その結果、グラスファイバー製ボディを持つオープンスポーツカーが誕生した。 オープンカーであるため、ねじれ剛性には特別な配慮が必要であり、低重量を維持しながらシェルの剛性を高めるため、強固なスチール製バックボーン・シャシーが採用された。今では経年劣化が進み、現存する車両の多くがシャシーを交換している。
フェラーリ250 GTO(1962年)
多くの人にとって、250 GTOはフェラーリの最も美しい作品の1つとみなされている。2018年にはオークションで4800万ドルで落札された例もある。デザインはビッザリーニ5300 GTの生みの親ジョット・ビッザリーニが手掛け、わずか36台しか生産されなかった。 250 GTOは1962年、1963年、1964年に国際GTマニュファクチャラーズ選手権で優勝。また、セブリング12時間レース、ル・マン、タルガ・フローリオ、スパ1000kmでも勝利を収めている。