《ブラジル記者コラム》福祉団体職員が生涯働いた老人ホームに約3千万円の遺産寄付=同団体が大戦中に邦人保護した隠された歴史
清貧を貫いた修道女のような生き方
9日の福祉法人・救済会総会で、吉安園子さん(1928―2022年、2世)が亡くなる間際に97万レアル(約2900万円)を寄付していたことを聞き、高くないであろう福祉団体職員の給与から、どうやってそんな大金を貯めたのだろうかと想像し、心を揺さぶられた(3)。 園子さんは1928年8月22日に第2アリアンサで生まれ、昨年10月24日に膵臓がんで亡くなった。行年94歳。生涯独身を貫く園子さんの生き方からは、どこか修道女的な雰囲気を感じていた。 きっと、私のような凡人とは異なり、あちこちの美味しいものを食べようとも望まず、良いマンションに住んで新しい家電を使おうとも思わず、知らない場所を旅してまわろうとも思わず、日本のテレビを見ようとも思わず、見栄えを気にして着飾ろうとも思わず、常に自分を律して救済会の活動のことだけを考え、かなり前の段階から遺産を寄付しようと決め、コツコツと給与や年金を貯金してきたに違いない。「その生きざまの総決算」のようなお金だと感じ入った。
きっと、私のような凡人とは異なり、あちこちの美味しいものを食べようとも望まず、良いマンションに住んで新しい家電を使おうとも思わず、知らない場所を旅してまわろうとも思わず、日本のテレビを見ようとも思わず、見栄えを気にして着飾ろうとも思わず、常に自分を律して救済会の活動のことだけを考え、かなり前の段階から遺産を寄付しようと決め、コツコツと給与や年金を貯金してきたに違いない。「その生きざまの総決算」のようなお金だと感じ入った。 吉安園子さんは心底仕事熱心で、真面目だがギスギスせず、思いやりが深く、とても謙虚な人で、自分が目立つことを嫌っていた。コラム子のことは新米記者時代からとても気にかけてくれ、救済会に限らず、コロニア創成期から全盛期の話をよく聞かせてくれた。 園子さんの人生は、まさに日本移民史の大半と重なる。だから移民史に関する疑問があれば常に彼女に質問し、教えてもらった。その中で園子さんから「これは重要なことだから、よく聞いてね」と言われながら取材して、いまだ書いていないこともある。今こそと思い、久しぶりにメモをひっくり返した。