一体なぜ? 日本代表では輝けなかったJリーグの名手(5)たったの一度も…。J史上屈指のSBに声はかからず
チームが違えば求められる役割も変わるもので、所属クラブで圧倒的な存在感を放ったとしても、サッカー日本代表で同様の活躍ができるとは決して限らない。今回は、Jリーグクラブでレジェンド級の選手になりながらも、日本代表で輝けなかった名手をピックアップして紹介する。
DF:新井場徹(あらいば・とおる) 生年月日:1979年7月12日 Jリーグ通算成績:423試合22得点 日本代表通算成績:なし 新井場徹はJリーグにその名を残すサイドバックの一人だ。1998年にガンバ大坂のトップチームに昇格すると、1年目から主力としてプレーするなど急成長。2004年に加入した鹿島アントラーズではさらに勢いが加速し、Jリーグ3連覇(2007年、2008年、2009年)を筆頭に数多くのタイトルを獲得するなど、クラブの黄金期を中心人物として支えた。右SBの内田篤人、左SBの新井場と言えば、当時の鹿島が誇る自慢の一つだった。 その新井場はG大阪に所属していた2001年、フィリップ・トルシエ監督時代の日本代表候補メンバー合宿に招集された経験を持っている。しかし、その後A代表入りを果たすことはなかった。トルシエ監督退任後、日本代表はジーコ、イビチャ・オシム、岡田武史などに率いられたが、いずれの監督からも新井場に声がかかることはなかった。 トルシエジャパンは3バックがメインで、左ウイングバックを小野伸二や服部年宏らが務めていた。ジーコジャパンでは三都主アレサンドロが左サイドのメインで駒野友一がバックアップ。オシムジャパンでは駒野が1番手となり、阿部勇樹や今野泰幸も左サイドを担当。そして岡田ジャパンでは長友佑都が台頭するなど、新井場のライバル達は実に強力だった。Jリーグでの活躍を見る限り一度くらい招集されてもおかしくはなかったが、それだけ代表入りは難易度が高いということを証明した一人だった。